生存END

 6:30 尾道の旅館にて起床。さぶい。隙間風が入る木造で海の近くの旅館だった。旅に出てからちょうど一週間目、ずっと6時台の早起きだった。リゾートしている感じは最初だけで4日目辺りから途端につらくなった。計画をかちかちに詰めてぎりぎりまで行動してしまう本性がのんびりを許さない。弾丸ツアーだったが、ぼくのあらゆる所業は弾丸であるように思った。布団の中で天井を見つめながら疲れたなと思いほくそ笑む。仕事をしている時も毎日疲れたなと思っていたし、まったく自由な時間を得ても疲れたなと思っている。この疲れは生きている限り消えないと実感した。この疲れはつまり生き方の疲れであり、思考パターン由来の疲れであり、個性に直結した疲れだ。ぼくがぼくである限り最大効率でキャラクターを使い潰すシミュレーションゲームのようにぼくはぼくを最前線に送り込み、試す。生きて戻ってくるかどうか。結果として死んだことはまだない。

 7:00 民宿の下の階が居酒屋になっていて、朝食はそこで摂ることになっている。お客はぼくともう一人のおじいちゃんのみ。おじいちゃんは朝食ではなく旅館が用意してくれたお弁当を食べていた。「もう用意してありますからね、あっおかず忘れた、えへへ」と言いながら案内してくれた妙齢の女将がキッチンの奥へ消える。テーブルの上には新聞が用意してあって、新聞には醤油の染みがついていた。誰かが読んだ新聞で、生活感が滲んでいるけれど不快ではない。新聞には政府の旅行支援策の記事が出ていた。11日からの施行で、各社旅行サイトがアクセス集中によりダウンした。ここ数日は毎日旅行サイトでホテル予約をしていたので身をもって体験していた。三連休もそうだった。毎日ホテルを検索し、価格と場所を調べたりサービスを比較したりするのは、もはや単なる趣味ではなく、1日をなんとか継続させるための生活だったから死活問題だった。ホテルが予約出来ないと野宿しなければならない。はじめて訪れる土地で野宿する場所を探すのは大変だし、おそらく警察の厄介になってしまうのでやりたくない。高いホテルは贅沢過ぎるし、安過ぎるとバストイレ無しで不便だし、ちょうどいいホテルが無いので行き先を変更するということも度々あった。宿、行き先、路線の確認で一日のほとんどの時間が潰れていった。その日暮らしというのは見た目より楽でも自由でもない。

 朝ごはんが出てくる。目玉焼きとベーコンとサラダときんぴらごぼうと小魚の粕漬けと焼いたサバと味噌汁とご飯と漬物と、ボリュームがすごいので不安になる。ぼくは少食で、しかもまあまあの遅食だった。食べきれるだろうか。新聞をテーブルに置いて横目で読みながらご飯を食べる。とてもおいしかった。

 7:30 旅館を出る。福山行きの電車まで時間があったので、最後に尾道をもう一度見て回ろうと思う。海の方ではなく、ぼくの好きな山の方。住宅と寺が細い路地で繋がっている迷路のような街並み。山の頂上にある千光寺を訪れていなかったので階段をのぼっていく。この旅の間、坂道と階段を一体どれくらい上っただろう。体が疲れきっている。汗も滴ってくる。そうそうにパーカーを脱いで半袖になった。早朝の空気が気持ちよかった。千光寺は岩に囲まれた圧迫感のある場所に建てられている。山の頂上にあるだけに眺めはとてもよい。ロープウェーで下ってきた。その段階で当初予定していた電車に乗れる時刻ではなかったので、かなり遅らせることにした。

 10:28 山陽本線 岡山行き。いつもの電車に乗って福山に向かう。

 11:06 JR新幹線のぞみ18号 東京行き。東京行きの新幹線に乗る。尾道から東京までは新幹線でたったの4時間だ。ということはもうほとんど東京だ。日本のほとんどは東京なんだと思った。今回の旅で、本当に日本は狭いものだと思った。行ってない場所、見てない場所は無数にあるけれど、それでもぼくがずっと思っていたよりも日本は狭い。子供の頃は日本は無限に近いくらい広いものだと感じていた。しかし見たことがある場所や行ったことがある場所が増えるたびに日本は狭くなっていった。広さを畏れることがなくなった、というべきかもしれない。夏目だったか太宰だったかが外国に行くのは外国を大したことがないと思いに行くもんだ、みたいなことを聞いたみたいなことを書いていたと思うけれどその気持ちがぼくは結構よくわかる。わからないものって怖いし、想像することしかできない。でも実際に体験してみると、それは思ったよりも大したことがないことが多い。想像する余地は消え、幻想も消える。確定された情報だけが残って、そのせいで人生がつまらなくなったり、また豊かになったりする。今回の旅で学んだことは、田舎はどこも似たような田舎だし、都会はどこも似たような都会だということ、それは日本という大ジャンルに統一されているということ。結局、ここは日本であり、日本は大概どこも日本だ。当たり前だけれどそれを実感した。どの町にも人間が住んでいて、そこには喜怒哀楽があって物語があってみんなご飯を食べて寝て働いて生きている。猫もいる。日本的な日本の輪郭がはっきりしてくる。解像度が上がってくる。ということは自分が今どこにいるのか、ということも相対的に浮かび上がってくる。思考がよりリアルになる。もやがかかっていた地図が見えるようになる。地に足がつく。旅に対する幻想は消えていく。ぼくは想像したのではなく、二本の足で歩き回ったのだから。

 14:36 東京着。

 うわ、東京だ!

 と思った。東京は見るからに東京で、若干の懐かしささえ感じた。ホームに降りるといつものように人間がごった返しており雑踏の雑音、車のクラクション、電車の轟音、誰かの携帯の着信音、笑い声、広告の音楽、すべてが溢れかえっていて、道行く人々は他人に無関心だ。ぼくはこの無関心さが東京の一番のよいところだと思う。そういう面ではぼくは東京に向いている人間なのだろうなと思う。久しぶりに行きつけの立ち食いソバでかつ丼セットを食べた。とても美味かった。

 16:00頃 帰宅。

 帰ってきたけれど、帰宅した感じはしない。これも旅の一部だ。ぼくは自分の家をあまり家だと思っていないところがある。ぼくたちの冒険はずっとはじまりつづけているんだ。けれどまあ家はものすごく快適だ。とんでもなく快適だ。必要なものがすべて揃っている。この文章はキーボードで書いているけれど素晴らしく快適だ。洗濯も出来るし風呂にも入れるしゲームもできるしいつ寝てもいいベッドがあるし着替えもたくさんあるし冷蔵庫には飲み物なども入っていて、あらゆるホテルの中で最もすぐれていると言わざるを得ない。おそらくどんなに高級なホテルでもこんなに快適にはならないし、しかも家というホテルは料金がとても安い。普通のビジネスホテルを一泊5000円だとしたら30日で15万円になるけれどぼくが住んでいるマンションはもっともっと安い。格安だ。家賃を日割りしてみると、ホテルがどれだけぼったくりかわかる。家は格安料金で最強サービスであるということを改めて実感した。

 すっかり忘れていたけれどカモミールはほとんどが倒れていた。何本か生命力の強そうな茎だけがまだ立っていた。なんというかすごい生命力だ。

 さて、日本縦断と銘打ってあちこち旅した日々は一旦終了となった。旅の途中でやり取りしていた人が何人かいて「旅か~いいな~楽しそう~」みたいなことを大抵の人が言ってくれた。楽しいし楽しかったけれどそれは楽ってことじゃなくて楽しさに見合った苦労も結構あったんだよとは言えなかった。たぶん理解してもらえないと思う。想像するってことじゃなく、二本の足で100kmを実際に歩くってことなんだ。それは全然楽ではないんだよ。楽しかったけど。

 ぼくはジェラピケのパジャマに着替え、冷蔵庫からジュースを出し、パソコンでVtuberの動画を流しながら読書をはじめた。それからだらしない格好のままで、さあ新しい旅のはじまりだと思った。生活は旅だし、旅は生活だった。それは同じゲームの別な側面でしかない。AからBへ、BからCへ。旅の目で生活をしよう。

 

 以下、写真。

 

f:id:sotokuro:20221012230032j:image

 城。


f:id:sotokuro:20221012230029j:image

 城。見分けがつかない。

 

 出雲大社のねじねじがめちゃくちゃ大きい。

 

 やってない海水浴場。風も波も尋常じゃないくらい強かったけれど晴れていて気持ちよかったので座ってぼうっとした。

 

 毘沙ノ鼻への道。風と波が尋常じゃないくらい強かったので道路にスプラッシュしていた。

 

 なぜか干支にちなんだ虎がいた。独特な表情をしていてかわいい。

 

 山陽電鉄の窓の桟に彫られた落書き。こういうのを見るのがとても面白い。

 

 なんといっても今回は砂漠がより大好きになった旅だった。ぼくは海でも山でも草原でもなく砂漠系男子だ。

 とてもいい。ずっと歩いていたかった。ワンダと巨像みたいな世界だった。

 

 期間 10月4日~10月12日

 徒歩移動距離 134km

 旅費総額 15万円くらい

 たずねた町 大阪、神戸、姫路、鳥取、松江、都野津、出雲、新山口、下関(毘沙ノ鼻)、尾道