天守閣の鳩

 眠い。疲れているのにあまり眠れなかった。元々の特性である不眠症が発動しかけている。鳥取のカプセルホテルに滞在していた。カフェとホテルが併設されていて、カフェでチェックインを行う。全体的におしゃれであるが、昨夜は何者かが壁をばんばん叩いているような音が頻発しており不穏だった。同じ階におじいちゃんの宿泊客もおり幅広い年齢層が使うのだなと関心した。起床後、共用洗面台で髭を剃ってシャワーを浴びた。それから駅に向かった。カプセルホテルは安くてよいのだが、貴重品の管理が面倒であることや、トイレ・シャワーが限られた数しかないことが不便ではある。基本的に室内での飲食不可だし、基本的に禁煙だし、壁をぶっ叩くような変な人がいると一気に居づらくなる場所である。

 色々なホテルに泊まっているが、ホテルに泊まるたびに「普通に暮らせることって快適そのものだ」と思う。雨風を凌げる家があって、自分専用のベッドがあって、食べたい時に食べたい物を食べられる、ただそれだけのことがすばらしく快適なのだ。予約しないと寝る場所がないとか、食べ物を買ったらバックパックに隙間を作らなくてはならないとか、そういう面倒がない。家は快適さで言うならやはり最高だった。旅は生活であり、生活とは旅である。旅が生活になりつつある今、ぼくは改めてそう思う。旅が生活になった時、旅に何が起きるかというと、生活のように旅から刺激が消えていく。ぼくは早くも旅に慣れつつある。旅はロマンだった。でもあらゆるロマンがそうであるように、体験してみると別なものに置き換わる。はしゃいで見せることは可能だし、体験を新鮮に書くことはできるかもしれないけど、それは嘘だからしたくない。生活の中に地味な楽しみがあるように、生活と化した旅の中にも、やはり地味な感動を求めたい。飽きたし、慣れたし、そろそろ帰ってもいいかもしれない、というところから旅は再起動する。

 今日も朝は寒かった。昨晩鳥取のドンキで買った薄い緑色のパーカーを着て出た。パーカーは暖かかった。3000円のパーカーがとても大切に思える。この安物のパーカーがぼくをたしかにはっきりと寒さから守ってくれているとわかる。社会から離れると、社会の中でしか価値のないブランドとか心底どうでもよくなった。大事なのは、信頼できる道具かどうかだ。バックパックの中にくしゃくしゃに突っ込まれてもすぐ着られるかどうかだし、そこそこ暖かいかどうかだし、逆説的に「失っても後悔しないか」だ。すべてのものが壊れたり紛失したり盗まれたりする以上、代替品がすぐみつかるかどうかは道具の信頼に大きく関わる。安定しない生活の中では価値の大きいひとつのものを持つことはあまりにも危険で、馬鹿げているように感じられる。

 鳥取のホームに、古めかしい鉄の塊みたいな電車が来た。小豆色一色の塗装がとても渋い。早朝のJR山陰本線米子行きは、姫路の電車と同じように通学生で混み合っている。女子中学生に包囲されており身動きが取れない。これが旅か。窓が塞がれていてうまく景色が見えないので読書して過ごす。湖のすぐ横の道路が続いてる、朽ちた小屋が車窓からちらりと見えて気になる。死体が隠してありそうだ。学生は2駅ほどでみんな姿を消した。がらがらになった車内で誰かがお菓子を食べていて、ポテチが割れる音がずっと続いている。つられてぼくも何か食べたくなった。バックパックから秘蔵のおやつカルパスを出して食べた。これが朝食となる。

 そしていつもの田舎の光景。濃密な緑、獰猛な木々、景色が開けると田園で、農作業をする老人、アオサギが川の中に突っ立ってぼうっとしている、ぽつぽつと住宅が建っている。倉吉でみんな降りて車両にはぼくしか居なくなった。マスクを外して靴を脱いでぼんやり窓の外を眺めていたら、女子高生4人が乗ってきて「えっ、どうする? ヤンチャしちゃう?」と言いながらボックス席に座った。どこの地域のどこの学校にも彼らのような人たちはいて、声が大きくていつも騒がしくしている人たちだ。やはりこのグループというものもなつかしい。なつかしいけど滅べばいいと思う。ぼくは高校一年の頃、彼らのようなグループにいて、あまりにも居づらく、面白くなくなって行ったのでよりオタクなグループと一緒になっていったけど、リア充たちもオタク達も独特な自意識やプライドを持て余していて高校生だったなと思う。彼女達は次の2駅ほどでみんな降りて、再び車両にはぼくひとりとなった。あまりにも静かなので他の車両も見てみたけど誰も乗ってなかった。4両編成で乗ってるのはぼくだけになった。変な感じだ。足跡のついてない砂を歩く感じだ。

 原因不明だけど左手に力が入らない。握力が赤ちゃんより弱くなった。あとたぶん砂丘で足の裏を火傷している。両足ともひりひりする。あとゲームがしたい。ゲームがしたいという欲求はぼくにとってめちゃくちゃリアルだった。だらだらお菓子を食べながらゲームをし続ける日々のなんて楽しかったことか。数日で相対化が始まっている。

 人間ってやっぱり望んだことを成すものなのだな、と思う。それは何度も実感したことだけど、願望することで、その方向へ自分を自動的に動かしていく機能がある。なんとかの法則みたいだけど、でもたしかにそうだ。人は望んだものになる。自由になってみるとそれがより顕著になる。早いか遅いか、一週間で叶うのか20年かかるのかはわからないけど、なるべくしてなるものになる。ならざるを得ないというか、願望してないものになるほうが難しいのではないか、とさえ思うのだけどどうでしょう。なるようになるし、なるようにしかならないし、それは結局、自ら望んだものである。みたいなこと。ぼくはやりたかった仕事はそこそこ出来たし、やりたかったこともそこそこ出来たし、行きたかった場所もそこそこ行けた。かつて望んだことだ。やってみて良かったことも悪かったことも、やはり望んだから起きたのではないかと思う。

 米子は乗り換えのため一瞬降りたけど栄えていた。すぐに松江行きに乗る。松江は本日の行き先だった。松江に何があるのかぼくは知らない。

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 城があった。ぼくは城に詳しいわけでも城が好きなわけでもないのだけれど、城があるなら行こうかなという感覚はある。城に行ってみると静けさが荘厳なのでそこは好きだなといつも思う。しかし城は城であり、姫路城を見た後にまた松江城を見ても、なんというかチャーハンのあとにまたチャーハン食ってるみたいな気分になって仕方ない。要するにこれが旅の慣れなのだとぼくは思う。慣れちゃったんだもの、仕方ないよな。

 小泉八雲記念館を見たり、武家屋敷を見たりしたけれど、飛田新地砂丘ほどのインパクトはなく、すごいなあ〜と思うのみとなった段階で、いよいよこの旅の目的というかそういうものが問われる時が来た。というか自らに問う。何のために日本縦断してんのか。漫遊なのか、学びなのか、復讐なのか、あるいはやり残したイベントを一つずつチェックして満足してるだけなのか?

 わたしは自殺だけはしないと思う。自殺だけは絶対ダメだと思う、とAさんは珍しくはっきりと断言した。ぼくは彼女が自分の意見をはっきり言うところをあまり見たことがなかったので、キャバ嬢を辞めた。ごく一部の人間には、ぼくはキャバ嬢を辞めることができる。真剣に話してくれる人たちである。ぼくは自殺は肯定派で、なんか仕方ないと思うんですよね、とぼくは言った。ものすごく考えて答えを出して死ぬしかないって大の大人が決めたんなら仕方ないんじゃないですかね、もちろん助かる手段があったのに気づかなかったとかだったら、とても悔しいことですけど、後から生きてる人が答えをこじつけて惜しんでも無駄だし、それなら生きてるうちに助けてやれよって思うし、でも生きてるうちは案外誰も助けてくれないですよね、助けてって声に出して言わないと、助ける権利すらないような気にもなったりして、でも助けてって言えない人がいることは身をもってわかってますし、だからぼくが自殺したいってわけじゃないですけど、人生がどうしようもなくつまらなくなったらぼくは死ぬ気がします。

 おそらくぼくは長い長い延命措置の中にいて、旅がどうとか言う前に、この命をどう使おうかということを、何も考えていない。

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 そういうことはたぶん、天守閣の鳩達も考えてはいない。