砂漠

 ホテルで目覚めるともう寒い。ネットで天気予報を調べると関西・関東は14℃ほどしかなかった。3日前に家を出る時、寝巻きにしようと持ってきたジョギングパンツを履く事にした。長いので短パンよりマシに見えると思う。ぼくは暑がりだし歩くので20℃前後なら半袖短パンで充分なのだが、寒そうに見えると変な人に思われてしまう。変な人に思われると不愉快な事が起きる可能性があるので未然に防ぎたい。旅行しようと思って出てきたわけではないので不足物がそれなりにあって、買い増やしながら進んでいる。スタッシュはぱんぱんだ。必要なもの全てを背負って歩いている自分をまるでホームレスのようだと思う。しかし、もともとホームなどという概念は一時的なものに過ぎない。ぼくがいる場所が常にホームなのだ。母が「あたしがいる場所があんたの実家だ」と言ったように。

 元旦から5日目。旅は3日目。やはり自身の日付を持っていて良かったと思う。今日が何日で何曜日なのか分からなくなる。社会から遊離している。電車に弱いのでJR線と私鉄が同じ駅にあると勘違いして焦った姫路の朝。JR山陽本線山陽電鉄は違うもので、駅自体が別れていてややこしい。落ち着いてJRの方に乗った。朝の姫路駅は電車通学の若者が多く、なぜか冬の故郷を思い出した。雪が降りしきる中、僕も駅で電車を待っていた。雪にはにおいがあるって雪の降らない地域の人は知っているのだろうか。

 山陽本線は可変対面式シートなので素早く乗らないと座る席がすぐなくなる。岡山行きの3両編成のかわいい電車に乗って都会を離れていく。窓の外をのんびり眺める余裕もなく観光地とホテルを検索することで忙殺される。こんな余裕の無さではいかんと思った。意味がない。まるで仕事をしているみたいだ。失敗しないように段取りして任務を遂行しようとして、もうそんなことはしなくていいのに。隣に座った初老の男性のスタバのカップがコーヒーでびしょびしょだったことが印象深い。きっと急いで電車に乗ったのだろう。妙に人間がなつかしい。

 8:01、姫路を去る。

 8:39、JR山陽本線から智頭急行に乗り換えた。上郡(かみごおり)駅のホーム端に乗り換え駅がくっついている味わい深い路線だった。JRと私鉄が同じホームに共存している。ここで交通系IC全般が使えなくなり、駅員さんに鳥取までの切符を買うよう言われた。短いホームには1両しかないワンマン車両が停まっていた。体の大きなおとなしい動物のようだった。智頭急行は上郡から鳥取まで、つまり太平洋側から日本海側まで山脈をぶち抜いて繋がっているからトンネルがとても多いけれど、緑豊かな穏やかな路線である。谷川田園。人が山に住まわせてもらっている感じというのが分かる。地図を見るとどれだけ山が大きく、強いかという事がわかる。人が住んでいるのは山と山の隙間のごくわずかな部分だ。鉄オタらしきメガネの男性が運転席に張りついて何か録画し、停車駅ごとに前から後ろに移動して整理券を収集していた。彼はJRが停まる駅では外に出てJR車両の撮影もしており大変そうだったが、色々質問されていた車掌も大変そうだった。車掌は親切に「次の駅では少し止まります。撮影などされるようでしたら乗り遅れないように」といったアナウンスまでしてくれていた。

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 宮本武蔵出生地が宮本武蔵駅。わかりやすい。

 全然旅に関係ないことを考えていた。99%ないよ、っていう物言いをする時の試行回数って100回を想定しているのだろうか。99.9%ないよ、の時は1000回なんだろうか、何を基準にして99%というのだろうか。パチンコのフリーズとかは65000分の1の確率とかだけど出る時は出るので100回に1回成功するレベルだったら結構当たるまであるな、とふと考えた。

 11:20 鳥取に着いてすぐ駅のトイレに入る。これが旅か。3時間トイレ無しの電車はおそろしいものだ(あとで調べたらトイレは車両に付いているらしかった)。ローカル電車の旅はトイレと、本数の少ないダイヤとの戦いだった。東京は交通がかなり発達しているけど複雑だしどこも混んでいる。どっちもどっちだ。鳥取は思ったよりも栄えており住宅やビルがたくさんあった。着る物を買おうと駅近くを探したけれどユニクロなどの安い服屋がない。最寄りのユニクロは駅からだいぶ遠いので諦めて砂丘行きバスに乗る。このバスも本数が少ないので計画的に乗らないと結果としてどこも行かなくなる。田舎は車移動が基本になっていて、公共交通機関も繁忙期でない限り力を入れない。11:30発のバスが砂丘センターに11:50着。14:42に鳥取駅行きが出る、と先に調べておいた。砂丘を見る前に砂丘センター展望台でとんかつ定食を食べる。なぜとんかつなんだ、名物を食べずに。とんかつ定食はとても美味しかった。とんかつのサラダにきちんとドレッシングがかかっていて嬉しくなった。添え物としか扱われないことがあるサラダにも光が当たっていた。展望台から見える景色は海だった。

 海だ。

 砂丘センター展望台から砂丘まではリフトが出ているのだけれど、500円くらいするし、歩いて行けそうなので歩いた。砂丘へ降りる階段は砂の美術館前を右に抜けるとある。しかし草むらに隠されているので、とても見つけづらい。

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 砂丘の入り口には看板がある。

 ぼくは死ぬまでに一度でいいので砂丘に行ってみたいと思っていた。砂漠というものがどういうものなのか知りたかった。砂漠は星の王子様と飛行士が出会った場所だし、ジェイミーが墜落して公園になったのも砂漠だし、砂の女も砂漠だし、インディージョーンズも砂漠だ。砂漠ってなんなんだ、とぼくは考えていた。

 砂丘の入り口にはすでに砂が溢れている。砂浜と同じ、さらさらした黄色い砂だ。ぼくはスニーカーを脱いでバックパックに結びつけ、靴下をポケットに入れ、ジョギングパンツの裾をまくった。裸足で砂を踏むと足が沈んだ。入り口を少し進むと、目の前に巨大な砂山があった。人間が蟻くらいの大きさに見える大きな砂山だった。観光客はみんなその砂山に登っていくようだったので、ぼくは平坦な砂を歩き続けた。砂丘は全長16kmらしいので、端まで歩いてみようと思った。鳥取に着いた時は寒かったのに、砂丘に着いた途端晴れたので暑かった。過酷な道になりそうだなあと思って、ぼくは砂漠でわらった。

 誰かの足跡があると安心する。どこかへは辿り着くのかもしれないと思える。しかし誰かの足跡もやがて消え、時々獣の足跡が現れるだけになる。魚の尖った骨が砂から飛び出している。ひょろひょろした硬い草が所々に生えている。踏むと痛い。乾燥に強そうなでかいバッタが飛んでいった。観光客が滅多に入らない領域まで歩いている。砂丘にはただ風が吹いている音しかなかった。強い日差しが延々と降り注いで、日陰はまったく存在しなかった。綺麗な風紋が砂の表面を覆っている。砂山を超えるとまた砂山が姿を現す。砂漠で遭難するってこういう気分なのだなって思う。砂山を越えて、また砂山を越えて、それでもまだ砂山が現れる。逃げたり隠れたりすることは出来ない。トイレもベッドもない。木も動物も水もない。太陽と砂山と自分だけ。砂漠で遭難したくないなあと思う。

 それでもひとつだけ書いておくなら、10月の砂丘は8月の東京よりだいぶ涼しい。東京砂漠はより凶悪だ。