終電

 終電に乗っている方々の3割くらいはもうマスクをしていない。いつも通りだ。人の顔が見えるということが不思議と新鮮だ。もともと人間の顔にはあまり興味がないし、よく見たりもしないけれど、猫の顔がみんな違うみたいに、人間の顔もみんな違っていることが面白くなる。こうなってしまうと、COCOAはどうなるだろう。と、思ってCOCOAを起動してみたら、2022年11月で機能を停止した旨のお知らせが表示された。ぼくにはまったく縁のないアプリだったけれど、何かしらの効果はあったのだろうか。新型コロナウイルスとはなんだったのだろう。ぼくは結局、罹らずに忘れてしまいそうだ。

 各車両に5人ほど酔っ払いがいる。床に座り込み赤い顔で目を閉じて天井に顔を向けている。人目もはばからず女の首に腕を絡ませている男があり、床にはグレープフルーツ味のチューハイの空き缶が奇跡的なバランスで立ったままでいる。なんかアジアだなあと思う。人間の密集と、その中でなんとか生活を延長しようとしている人たちの行動、なんかアジアだなあと思う。お行儀がよいのがよい、というわけではないにせよ、この狭さや、狭さに慣れてしまっている感じや、狭さの中で培われていく生活は、なんかアジアだなあと思う。

 2日連続で終電に乗っている。今日は早く帰れる予定だったし、明日は出社が少し早いのに、それでも終電で帰っているぼくは、すっかり働き者になった気分だ。気分だけで、一般的なサラリーマンより全然働いてないのが実態だから、あまり大きな声では言えないが、ぼくは働き者である。働かないものではない、という意味で。

 今日はOJTしてくれている先輩と話す時間が多かった。ぼくはあまり人と話さないし、自分の話が面白いとも思わないので(話が面白い人というのは、あまりいないけれども、よく話す人というのは、話すことが必要な人なのだろうな)話をしないことが非常に多いのだけど、まったく話さないわけではなく、むしろ話す時は話す。よく話すといっても過言ではない。今日はvtuberの話しをしてみたら、先輩はバーチャルおばあちゃんが好きだと言い、爆笑してしまう。とてもいい。