萌えた

 カモミールが萌えた。
 ひょろひょろで髪の毛みたいに細い茎、双葉もミニチュアサイズ。見るからにかよわい。
 けれど、なんとまあかわいいことでしょう。
 もしかしたら、種のまま死んでしまうこともあるんじゃないかと思っていたから、命が動き出すという、ただそれだけのことで感動している。
 萌える、という言葉が草木の発生を意味していることと、スラングとして心のときめきを意味していること、そのふたつは別々ではなく根本が同じだということに気がついた。
 芽生えるという現象は、ときめきだ。
 また最近では、笑うことを「草を生やす」と言うこともあるけれど、そう考えると日本人のネットスラングは自然に根ざした言葉が多いようであり、現象と情緒が結びついているところが愉快である。
 どんどん草が生えればいい。
 水をかけてあげよう。
 
 会社の同僚と「アニメの世界に入れるとしたら、入りますか?」という話をした。
 同僚は入りたくないと言う。
 アニメの世界に行ってもどうせ飽きてしまうだろう、と悲観的で面白かった。
「無条件でぼくのこと好きになってくれる女の子がいる世界とかでも、気持ち悪いじゃないすか」とクールである。そういう感性もあるかあと思った。
 ぼくはアニメの世界に入ってみたいと思う。
 というよりも、どちらかというとゲームの世界に行ってみたい。
 ぼくはずっと昔から「モンスターを倒して生活したい」という夢があるので、町の周りをうろうろしてモンスターを倒してゴールドを集めて生活したいと思っている。
 そこには何の感情もなく、事務的に、義務的に、ただ同じことを延々と繰り返すばかりの穏やかな生活がある。
 ああでもそれ、現実と一緒か。
 どの世界でもぼくはぼくなんだろう。