ゆめのぱんち

 ぐうぐう寝ている。
 こないだ、夢にゾンビが出てきた。ぼくはどうしてだかゾンビとたたかうはめになった。ぼくはぱんちをした。
 ところで世の中には、夢と現実がリンクしてしまう人たちがいる。夢と現実を区別できなくなる人たちがいる。ぼくである。
 ぼくは夢の中でゾンビをぱんちした。そして現実でもぱんちしていた。
 ベッドの上で虚空にむかって伸びた腕は、自由落下をはじめ己のみぞおちに墜落した。
「うぐっ」と声を上げてぼくは目覚めた。
 自分自身にみぞおちをしたたかにぶたれ、目を覚ましたのだ。
 ぼくは自分の腹を押さえながらベッドの上を七転八倒した。こぶしがみぞおちにめりこんだので、痛かったのだ。
 転がっているうちに、だんだんと現実を認識しはじめ、そうしているうちに自分の滑稽さが際立ってきた。
 ゆめのぱんちが現実となり、現実ではなぜかぞんびではなく自分自身が痛がっており、そして腹をおさえてうめいているとはね。
「ぼはっぼはっ」とぼくは笑った。
 そしてそのまま寝た。
 
 少年時代。ぼくは布団から跳ね起き、姉の部屋に駆け込んで、
「鏡! 鏡!」と叫んだ。
「なに!? あんたなに!?」と姉も叫んだ。
 ぼくたちはまだ幼かったのだ。
「鏡! 鏡!」とぼくは叫んだ。
「鏡がどうしたの! 無いよ鏡!」と姉は叫んだ。
「無いんだ……」とぼくは呟いた。
 そして布団に戻り、ぼくは寝た。
 夢の中で鏡を探していたぼくは、なぜかそれを現実でも探してしまったのである。
 この奇妙な寝ぼけは、大人になっても時々発症するのである。

 眠るという行為は人間がもっとも動物らしくなる瞬間かもしれない。
 眠りに落ちる瞬間に、かならず歯を噛み鳴らす癖がある人がいた。
「かち、かち」と歯が鳴ると、もう眠りに落ちている。わたしは今ねましたよ、という合図みたいでおもしろい。
 ぼくはその癖を目の当たりにすると、とてもさみしい気持ちになった。
 ぼくは寝ている人を見ると無条件でさみしい気持ちになるのだった。
 それは、いつもぼくが眠れないからだった。
 ぼくはいつも見送る側で、ぼくはいつまでも起きている。
 だからぼくは、目の前で眠る人間の癖やなんかを、覚えているというわけである。
 
 ぐうぐう寝ている。
 ぼくは、「さあ寝るぞ」と思うとすこしも眠れないが、「たくさんゲームをするぞ」とか「本を読んで賢くなるぞ」とか思って、実際にそれをやっている時に、唐突に眠くなる。
 そういう風な、電池が切れたような唐突な眠り方は、あまり体に良くなさそうではあるが、ぼくにとってとても大事な眠り方だ。
 さっきも、帰宅して筋トレをしてシャワーを浴びてベッドに横になりパソコンで動画を再生した20分後に、ぐうぐう寝ていた。
 そうして一時間後に「歯磨きをしてない!」と急に目覚め、飛び起きて今に至る。
 歯磨きはした。
 
 時々、泣きながら目覚める。
 夢と現実を一度でも飛び越えてしまえば、それが別物ではなく、地続きの領土であることに気がつく。
 夢も現実も、体験であることに変わりはない。
 だから分けるなら、眠ること、無であることと、夢&現実なのだろうなと思う。
 そういえばこの間、花の屋根がかかった道の真ん中に、人間が倒れていた。
 目の前にいるのに、とても遠くにいるような感じがした。
 別な世界にいるような感じがした。
 ぼくはさみしくなった。