エアポケット

 寝ている。
 寝る時間が増えた。とても眠い。外は暑い。エアコンをつけた室内で、ベッドに横になっていると非常に眠くなる。そのまま寝る。寝ると体力が回復するのが分かる。疲れが減る。そして眠ることが気持ちよい。眠ると他のことができなくなるが、プリミティブに幸福だ。起きると動画を見たりしてぼんやり過ごしている。腹が減るとウーバーイーツでマクドナルド・ハンバーガーを注文する。チャイムが鳴って、玄関ドアのスコープから外を覗くと、もう誰もいない。ぼくはいつも廊下に誰かが立っているような気がする。ウーバーイーツの配達員がそこにいつまでも立っている姿を想像して恐ろしくなる。しかし廊下に人が立っていたことは一度もない。廊下には雑然とハンバーガーの袋が置かれている。ぼくはハンバーガーやポテトを食べ、そして眠る。そろそろ蝉の声が聞こえて来そうだ。前までうろついていた蜘蛛は姿を消した。きっと引っ越したのだろう。そういえば新しく引っ越してきた隣人は、とても静かだ。死んでいるのかと思うほどに。時々ベランダにゴミ袋が出してあることがある。だから生きているのだろう。それにしても、ベランダにごみを放置しておくと虫が寄ってきそうなので、ぜひやめてほしいところではある。隣人もきっとぼくにやめてほしいことはたくさんあるんだろう。たとえば、ぼくは時々風呂で歌うことがある。フィッシュマンズのいかれたベイビーを歌っていることがある。それはもしかしたら、よした方がいいのかもしれないことのひとつだ。
 
 中野サンプラザブラフマンのライブを見た。予約や段取りは一緒に行った方が全部手配してくれた。ぼくはただついて行けばよかった。中野駅で待ち合わせ、仕事が終わってから直接向かった。二人で時間を潰して町の中を歩いている時、「外黒さんってほんとに私に興味ないよね。助かるわ」と言われた。興味がないわけではなく意図的に質問を控えているだけなのだけれど、その人にとってそれが都合が良いというのなら、ぼくの意図はそれほど的外れでもなかったんだろうと思った。
 はじめて入った中野サンプラザは、古めかしいデザインのホールで時代を感じさせたけれど、汚れているとか壊れそうだとか、そんな雰囲気はなかった。それでも取り壊されるのだという。思い入れがある建物というわけでもないけれど、新しく建つであろう設備に期待しているというわけでもなく、ただ古いものが壊されるという当たり前の循環を寂しく思った。
 ブラフマンのライブは面白かった。ぼくは20年ほど前にはじめてブラフマンの音楽を聴いて、そして20年経ってはじめてライブを観ている自分にたどり着いたということに、気が遠くなるような、不思議な感慨を覚えた。あの頃、この音楽にハマっていた友人がいたなとか、ぼくはあんまりブラフマンの音楽を理解できていなかったなとか、色々と思い出すこともある。
 ぼくは音楽のライブはあまり得意ではなく、クラブで踊る方が楽だと思ってしまう。音楽のライブはなんというか、ステージの上のショーを見ていなければならないし、音楽もハコによってはノイズだらけであまり聞こえないこともあり、楽しいことは楽しいけれど、すごく好きというわけではない。ということをいつも思う。今回も思った。ブラフマンの音楽は独特で、どの曲を聴いてもちゃんと彼らの音楽という感じがしてよかった。それから劇的なMCの演出が素敵だった。概ね楽しかった。
 ライブのあとはめちゃくちゃ騒がしい中野の中華居酒屋に入ってメガジョッキでビールを飲んだ。とてもうるさくて相手の声が聞こえないくらいだったし、エアコンも効いていなくて座っているだけで汗をかくし、しかも酒が全然こないというお店だったけれど、だからこそなんだか異国にいるかのような、混乱極まる夏の中にいるのが、なんだかたのしかった。
 
 教習所でビッグスクーター体験をしてきた。400ccの大きなスクーターで、webでスペックを見ると車重が230kgほどあるようだった。とても重い。インストラクターの先生が「私はこのバイクが大っ嫌いなんですよ!」と言って笑っていた。冗談かと思ったが、授業のあとの短い説明の時に「あれは乗り物じゃないです」と割とまじめな顔で言っていたので本当に嫌いなんだと分かった。
 ぼくもあまり好きではなかった。どんなバイクも楽しい。でも好き嫌いはやはりある。ビッグスクーターニーグリップできないしクラッチがないのでアクセルだけで低速を維持するのが難しいし幅が広いし重いしでかいのであまり好きではない。走り出してしまえば快適だけれど、狭い道やカーブが続く道はあまり通りたいとは思えない。バイクに乗っているというよりは大きいテーブルに乗っているような感じがした。ぼくは軽くて小さくてまたがるバイクの方が好きだなと思った。
 
 元上司の地元で酒を飲んできた。時間ある時に遊びにきてよ、と誘われたので行ってみたのだけれど、元上司は1時間ほど遅刻してから現れた。なんというか、この人は変わらないなあと思った。元上司はお好み焼きやもんじゃをひたすら焼いてくれた。ぼくは焼きあがったものを食べるだけだった。それから元上司と町の中をぶらぶら歩いて、深夜に家系ラーメンを食べた。ラーメン屋の椅子に座った時、ぼくのズボンの膝をでっかい毛虫が歩いているのをみつけて、二人で高校生みたいなリアクションをしてしまう。外に出て毛虫を箸で取った。家系ラーメンは大変に美味かった。終電が無くなっていたのでネットカフェに泊まった。万歩計をみると20kmほど歩いていた。腰と股関節がばきばきになって激しく痛んだ。元上司も足腰がおかしくなっていた。歩きすぎた。無料のソフトクリームを食べながら、静まり返ったネットカフェのロビーで、遠い目をしながら、ぼくは自分の人生に起きる様々な事件や、その思い出の狭間に存在しているこのエアポケットのような時間の奇妙な感慨について、ひとしきり考えている。