靴下シミュレーション虚無

靴下

 

 ユニクロのJWAndersonの靴下がめっちゃいい。
 めちゃくちゃ買ってきた。

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 なんでユニクロにはダサい靴下しか売ってないんだよおかしいよ安価でかわいいデザインの靴下をもっと作ってくれよ! と長い間思っていたのだが、やっとそれらしい靴下が出てきたではないか、すばらしい、もっとこういうのを作ってほしい。
 ぼくは靴下が好きなので、3足で1万円とかの輸入靴下を買ったこともあった。その靴下はとても最高なのだけれど靴下は靴下なので履くとだんだん壊れてくる。けば立ったり平べったく潰れたりしてくる。それはそれで味があるような気もするが、靴下がくたびれてくるとどうも貧乏くさい気持ちになるし、悲しいのであまり履けないという現象が起きるのだが、JWAndersonの靴下は1足390円である。いくら破損したところで全然痛くない。応援するつもりで大量に買ってきたけれど、あと何足か買い足すかもしれない。今冷静に見返すと青と赤のボーダー柄、いらなかったな。いつ履くんだこれは。
 靴下にもいろいろあるけれど、高機能だったりデザインが凝っていたりすると当たり前だけど高くなる。登山用の靴下などはAmazonでも売ってるけど一足2000円くらいになったりする。そんな靴下がなぜ必要になるのかというと靴下が濡れると水虫になるからだし、雨とか湿った地面を歩くと靴下も濡れて足が冷たくなるし、脱げてくる靴下は役に立たないし、薄い生地だとクッション性がないので足が痛くなるし、などと考えると速乾性のある頑丈な靴下がほしくなるものなのだ。Tシャツにも言えることだけど、山の中で「濡れる」というのはものすごく辛いことである。そして、普通の生活では考えられないほど危険だ。下手をすると死ぬ。濡れただけで死ぬ確率が飛躍的に高まる。濡れ続けると低体温症というのになるのである。山は場所によって寒暖の差が激しく、陽射しの強いところではとても暑いけれど谷に降りるとめちゃくちゃ寒かったりする。汗をかいたまま谷に降りると濡れたTシャツが死ぬほど冷えて震えてくる。だから山のプロの人達、歩荷の人達などは小川を渡る時などは靴を脱いで裸足になって濡らさないようにするのだと聞いたことがある。衣類を濡らすことは死につながることをみんな知っている。ぼくはそういう、生活とはかけ離れたルールを知るのがとても好きだ。服を濡らさないようにしよう。濡れてもすぐ乾くものを買おう。なんかそういうことを考えて良い靴下を探していたところもある。ところもあるが、今はバイクのことを考えている。バイクに乗る時はすねまで隠れる靴下を履きましょうという決まりがあって、ぼくはまた靴下が必要になった。ビジネス黒靴下と登山靴下とバイク靴下とおしゃれ靴下と、とにかく色々な靴下がいっぱい必要だ。靴下はあればあるだけいい。パンツとタオルも大量にあっていい。やわらかいぬのがぼくは好きだ。

 

シミュレーション

 

 教習所でバイクシミュレーターに乗ってきた。ゲームセンターにあるバイクゲームのリアルな奴といったおもむき。インストラクターの方が座学的な説明をしてくれたのだが、そのほとんどがE教習(次の段階)のアドバイスで、あまりシミュレーターには触らせてもらえなかった。ニーグリップをしないと車体の中心と人体の中心がずれてバランスを失うという話や、つま先の向きによって膝の開く方向が変わってくるという人体構造の話など、興味深い話をされておられたが、ぼくはバイクに乗りてーなーと思っていた。もはやぼくにとって教習所は遊園地だ。普通に楽しみに行ってる。教習は大学生くらいの細い男子と一緒だった。ぼくと同じくらい喋るのが苦手そうだった。じゃんけんをして勝った方が先にシミュレーターに乗るというのでじゃんけんをしたら7回ほどあいこになって二人で変な笑い方をした。加減速シミュレーションでは、ぼくは加速が上手かった。アクセルを開けてギアチェンジしてさらに早い速度に上げるのは面白い。でも減速が下手だった。ブレーキが下手なのは人生そのものだと思った。決められた位置より常に前に止まってしまう。強くブレーキをかけすぎてタイヤがロックする。大学生男子は過ぎた場所に止まってしまう。加速と減速という単純な操作でさえ繊細で、とても難しいものなのだなあと考える。そういうものなのかもしれない。乗り物って根本的にそれが一番大事なのかもしれない。加速することと、減速すること。人生もか。
 次はE教習だけどビッグスクーター(AT)体験をするらしい。次の目標は「絶対にけがをしないことです」とインストラクターのお姉さんは笑っておられた。ピンキーリングがきらりと光った。溌剌とした気の強そうなお姉さんで、ハーレーに乗ってそうだった。
 
虚無


 教習所とユニクロの帰り道、町をぼんやり歩いていると、いつもの虚無感がやってきた。ぼくの内省は「ただ楽しい、ということにぼくはうんざりしている」と告げていた。楽しい、に飽きている。楽しい、が最大の価値ではなくなっている。喜びではなくなっている。この楽しさはぼくをどこへも連れていかない、とぼくは感じている。たしかに楽しい。楽しい事はとても多い。でもこの楽しさには何かが不足している。閉じている。なんだろう、と考える。言葉になっていない不満がある。ぐるぐる考えているうちに「順路」かもしれない、と思う。ぼくは天才なのでA概念とB概念を素早くマッシュアップして新しいC概念を生み出すことに長けている。「順路」という言葉・概念はかなり前にとある人が口にした言葉で、ぼくはそれを今の自分に適用して考えている。ぼくは今、順路の中にいる。ぼくが感じている楽しさは順路の中で、誰かがそう見せたいと思った楽しみでしかない。教習所も、町も、靴下も。誰かが用意してくれた、誰にでも楽しめるように作られた檻が、たぶんぼくの虚無だ。