FPSからの学びメモ

①ゲームはあらゆることを教えてくれる。

 血圧を上げる趣味があった方がいいと思っていて、試しにFPSを採用していた。本当は体を動かす方のスポーツがいい。でも体を動かすスポーツは何かと面倒だ。金もかかる。ぼくはゲームが好きだ、ゲームは故郷であり祖国だ。
 FPSは血圧が上がる。負けるととても悔しいし腹が立つ、勝つと爽快だ。実際に想定していた通りの血圧の乱高下、つまり感情の起伏が生まれた。これはぼくの基準だと虚無状態より健康といえる。
 悔しさには大別して二つの対処法がある。ひとつは逃げること。もうひとつは戦うこと。
・悔しさから逃げると悔しくなくなる。悔しさとは別の人生を歩むことは簡単。悔しさと距離をおけばいい。平和で平穏。ここからクリエイティブに移行することもたぶん可能。
・悔しさと戦い、悔しくなくなるくらい頑張れば悔しくなくなる。誰にも負けない最強・天下無双になれば悔しくないのではないかという仮説。実際に天下無双になったら悔しくなかったからよかった。(しかし弱き者に対する罪悪感・悲しみ・怒りが発生したり、強すぎて戦ってくれなくなるという状態も発生した。敵にしたら「あいつがいると勝てないから辞めよう」だし、味方にしたら「こいつがいるとゲームが面白くないから辞めよう」になる。絶対勝てるゲームというのもつまらない。レベル差がありすぎるとゲームが成り立たない。幼稚園児と本気でボクシングしたら誰だって勝てる)

②強さとは相対的・限定的なもの

 誰かと比べて強い、弱い、はある。
 過去の自分と比べて強い、弱い、もある。
 比較の上に、強さはある。
 これは「いい評価」「わるい評価」のような曖昧なものではなく、現時点(変化しうる)での事実。数字で表すことができるものは特に。
 強い、弱い、ははっきりしているから、気持ちよく悔しがることが出来てよい。
 環境・状況によって強さは容易に変化しうる。限定的だということ。
・たとえば砂漠では強いけど洞窟では弱いとか。
・明るい昼は強いけど暗い夜は弱いとか。
・元気な時は強いけど風邪をひいたら弱いとか。
・Aさんといると強いけど、Aさんがいないと弱いとか。
・Gのゲームでは強いけど、Mのゲームでは弱いとか。
・Dルールでは強いけど、Pルールでは弱いとか。
 悔しさは、比較の上で対象より自らが劣っていると感じた際に発生する。
 現時点での事実であるから不変ではない。

③勝ち負け

 FPSはスポーツ。
 スポーツには大抵、勝ち負けが存在する。
 強い、弱い、と深く関係しているけれど、別な概念。
 勝ち負けが存在するスポーツでは、勝ちたいと思うことがゲームの前提条件なのかなと思う。
「負けてもいいや」とチーム全員が思っていると、とてもつまらなくなる。「負けてもいいや」が主体のチームだとゲ―ムを放棄したりすることがある。ゲームが成り立たなくなる。
 勝ちにこだわる必要もないけれど勝ちたいと思っていないと成長しないし、成長しないと前進感がなくつまらなくなる。勝ち負けがないスポーツやエンジョイの共通理解があるチームはこの限りではない。
 弱くても勝てることがある。(なぜなら強さ、弱さは相対的・限定的だから)
 弱くても勝てばいい。(なぜなら勝ちたいと思うことがゲームの前提条件だから)
 勝ちたいと思うことで様々な行動が発生する。立ち回りの勉強(戦略)とか、弱点の克服とか強みの強化(自己分析)とか、メンタルを維持する方法とか、キャラクター性能の評価とか、やってると徐々に学ぶ。
 誰かが勝つと、誰かが負ける。弱い相手を叩き潰す覚悟が必要にある。
 叩き潰されても面白かったら勝ちたいと思う。
 
④チーム
 
 5vs5のチーム戦の時、5vs5と、5vs1+1+1+1+1は、まったく全然違うもの。
 大抵は1+1+1+1+1vs1+1+1+1+1になる。
 5vs1+1+1+1+1の時はまとまっているチームの方が強い。
 
⑤チート

 勝ちたいとかちやほやされたいが故にプロでもチートを使うことがある。
 
⑥死ぬ

 ゲームをしすぎると人間は死ぬ。
 https://1010kurakki.com/game-death/
 良い記事です。
 この記事に記されている状態にぼくもなっているので笑ってしまった。
 トイレ、煙草以外で動かないし、エコノミー症候群で死ぬかもしれない。
 真面目に考えたんだけれど、ゲームをしながら死ぬなら本望な気もした。

⑦ゲームでイライラするなんて本末転倒だと思ったけれど、遊びだからこそ本気でやるんだなって思った