蟲日記

 まどの桟に蜘蛛の巣が出来た。
 網目の巣ではなく、繭型の巣だった。つまりハエトリの家だ。
 これは獲物をとる罠ではなく、文字通りの家としての機能しかない、こぢんまりとした蜘蛛の巣だった。
 繭の端の方に小さな穴が空いていて、それが玄関となっている。
 待っていれば蜘蛛が帰ってくるかもしれない。あるいはすでに空き家になっているのか。
 なんとなく不思議な感じがしてしばらく小さな家を眺めていた。
 どうして蜘蛛はこんなところで生活を始めようと思ったんだろう、いつの間にこの家を作ったんだろう。
 ぼくはティッシュで家を叩き壊して屑籠に捨てた。
 必要ならまた作るだろう。
 
 あちこちにコガネムシが落ちている。
 緑色のころっとした虫で、鈍重にのしのし歩いているか、大抵はひっくり返って死んでいる。
 ぼくは無知だから、そういうのはみんなカナブンなのだと思っていた。
 気が向いてコガネムシについて調べてみると、カナブンはたしかにコガネムシの仲間ではあるのだが、いつも目にしているコガネムシとは微妙に違っていた。
 よくいる緑のやつはアオドウガネという名前がついている。もう何十年も彼らの姿を見ておきながら、そんな名前がついているなんて知らなかった。
 アオドウガネは体の流線形に沿った丸い頭部をしているが、カナブンは頭が四角く飛び出している。そのほかの特徴はほとんど同じなので、遠くから見ると見分けがつかなそうだけれど、よく見ると全然違う。
 名を知ってから、コガネムシをよく観察している。カナブンは全然いない。名前は有名なのに、カナブンはいない。コガネムシのほとんどはアオドウガネだ。
 彼らは身を守る武器もなく、無駄につやつやと輝いていて目立ち、動きも遅く、名前さえ覚えられていない。それなのに、ずっと昔から現代まで生き抜いてきた。
 鈍重に、現代まで歩いてきた。
 えらいなあと思う。すこし尊敬もしている。何もできなさそうなのに、いかにもタフだ。
 
 喫煙所で煙草を吸っていると、目の前のコンクリ壁を蟻が歩いている。小さな蟻が多いが、時々一回り体の大きい蟻が混じっている。同じ蟻だけれど、同じ種だとは思えないほど体格に差がある。彼らは一緒に暮らしているのだろうか、それとも全くの他人なのだろうか? ぼくにはわからないが、小さい蟻も、大きい蟻も、一生懸命走り回っていた。観察していると、時々蟻同士が顔をくっつけることがある。会話しているのか、あるいは獲物を手渡したりしているのだろうか。どちらにせよ、走り寄ってきた蟻同士が急にちゅっちゅしはじめるのは妙におかしい姿だった。大都会のアスファルトの隙間に蟻の巣はある。蟻帝国は地下に広がり、そしてそこには彼らの生活がある。
 
 オニヤンマを見た。渋谷の近くの裏道の、塀に止まっていた。田舎にいるのより小さいサイズだったけれど、たしかにオニヤンマだった。どこかに綺麗な水源があるのだ、この街の近くに。都会で昆虫を見ると不思議な気持ちになる。夢を見ている様な気分だ。オニヤンマやトノサマバッタのような大きな昆虫は、よい環境でなければ生きていかれないのだと思っていた。都会の虫で巨大化するのは無法者のGくらいのもので、そのほかはとても小さい。人間の支配した土地は、虫がとても生きにくくなるのだろう。オニヤンマはぼくが近づくと不器用に飛んで行った。渋谷にオニヤンマは結構似合うかもしれない。
 
 近所のスーパーに買い物に行った。ホームセンターが併設されているので、ぶらぶら歩いていると、カブトムシが売っていた。一匹千円で、プラスチックのケースに入れられている。人間というのは、なんておかしなものだろうと思った。