RDR2

 雨。どきどき。晴れ。

 RDR2をクリアした。いいゲーム。ほんとうにいいゲームね、RDR2は。人生だった。このゲームは明らかに人生をテーマにしている。だから豊富に「生活」が含まれている。ゲームの中の人生。しかしこの架空の人生はぼくのものではなく、ゲーム内のプレイアブルキャラクターのものである。それがいい。他人の人生であることが尊い。だって自分の人生ならもう、ずっとプレイを続けているわけだし、このぼくの人生は、好むと好まざるとに関わらず、交換不可能であるところがよいところなのだから。もう、自分以外の誰かになりたいと思う歳ではないけれど、だからこそ他者の人生というのは面白いと思う。そして人生というのは、つまるところ生活である。誰かの人生を描くということは、誰かの生活を描くということにほかならない。物語・シナリオより遥かに、生活のリアリティーこそが人生を浮き彫りにする。RDR2は、ぼくとは違う生活をしている人間のゲームだ。主人公はアメリカみたいな国の、西部みたいな荒野の、ほとんど最後のガンマンである。純粋な悪党である。人殺しである。しかし、悪党でギャングでガンマンの主人公の生活は、ものすごく「しみったれ」ている。そこがいい。とてもいい。主人公は食べ物が無いから狩りに行く。鹿を撃って皮を剥いで肉を取る。キャンプをして肉を焼いて粗末な飯で腹を満たす。皮を売りに行くとはした金を手渡される。すごくすごくいい。華麗な伝説で語られるガンマンの、しみったれた貧乏くさい生活、最高にいい。ギャング仲間に嫌味を言われ、仕方なく薪割りをする。馬の餌の藁を運ぶ。子供を釣りに連れて行く。荒野の、自給自足の生活。ぼくはこのゲームがとても好き。馬が転ぶとガンマンは地面に投げ出され、服は泥まみれになる。かっこいいギャンブラーハットは草むらに飛んで行ってみつからない。ギャングのボスは金を稼げとうるさく言う。バーに入ってご飯を食べようと思うと5ドルも取られる。5ドル稼ぐには何匹鹿を狩らないといけないのか。侘しい。だが、この濃密な生活の実感こそが、西部劇の良さなんだろうと思う。何から何までシンプルで直接的なところが。気に入らないことがあればみんなすぐに拳銃を抜く。撃ち合いになる。死体が転がっていても、あまりみんな気にしない。おおらかで、殺伐としていて、時々平和で、いつも狙われている。ぼくはこのゲームが好き。