「俺の父親は俺が子供の頃に宗教にハマって帰って来なくなったんすよ。借金とかやばいらしいす」とLさんは言った。
彼と出会ってから3年ほどになるが、はじめて聞くエピソードだった。
つまり話すのに3年かかる話なわけだ。
「だからね、そういう家庭は良くないんですよ! そういう家庭はだめなんです」
とWさんが騒ぎ始めた。
デリカシーのないやつだなあとぼくは思った。人の家の話で勝手に盛り上がってんじゃねえよと思った。
「そうでしょ外黒さん、そういう家庭にしちゃだめですよね!」
Wさんがぼくに話を振ってくる。
「父親がそうなっちゃったんなら仕方ないよな」とぼくは言った。
「仕方ないってなんすか」とWさんは半笑いで言う。
「その親父がどういうやつかなんて知らないけど、親父がそうなったのはLさんのせいじゃないだろ。今それを言ってどうなるんだよ」
とぼくは言った。
「さすが外黒さんだ! かっけぇ!」
とWさんは言った。
こいつには何を言っても無駄なんだろうなあとぼくは思った。
ぼくのお父さんが病気で死んだとき、お母さんが少しだけおかしくなった。
あやしげな医療にハマってしまったのだった。へんてこな紙きれを家中の家電に貼り、電磁波を吸収する紙だなどと言っていた。そのほかにも体の悪い位置が分かるという独特な手の動かし方などをマスターしてきた。
たぶん効果ないと思うよ、とぼくは母に言った。
効果なんてなくていいの、私は信じてるから、と母は言った。
ぼくはこのエピソードから学んだ。
どんな人間でも「すっと足を踏み外す」ことがある。
何か大きなショックを受けた時、変な方向に進んでしまうことがある。
どんな人間でも、そうなんだと思う。
かしこさとか、慎重さとか、論理性だとか、強いとか弱いとか、そういうのは関係ないんだと思う。
すっと足を踏み外す。
それは体の中で膨らみ過ぎたストレスとか圧力を逃がす回復行為なんだと思う。
母は2年ほどで自然に戻ってこられた。
なんであんなのにハマってたんだろう? と不思議そうにしていた。
でも、帰ってこない人もいる。それだけなんだと思う。その人が周りに迷惑をかけてなくてその人が幸福ならいいんじゃないのって思う。
周りに迷惑をかけているならその団体はなくなった方がいいと思う。
全然ひとごとじゃないんだよな、とぼくは思っている。
宗教も火事も借金も殺人も心の病も全然他人ごとじゃない。
ぼくの周りで全部起きている。
だからぼくは傍聴に行くし宗教の本も読むし認知行動療法の本も読む。
いつかぼくはどうしようもなく足を踏み外すかもしれない。
でも何が起こるか分かっていれば、不必要に恐れたり混乱したりしなくて済むかもしれない。
スキーで一番最初に習ったのは、うつくしく滑る方法ではなく、転び方と立ち上がり方だ。