たあいないおはなし

 終電まで働いてこれを書いている。そのことを思うとおあははと笑いたい気持ちになる。この間まで天下無双の無職だったのに輪廻無常、所業転生、つわものどもがゆめのあと、状況は変化を続けジンカンは移ろう。いつかモンゴルの草原にベッドを置いて寝たいものである。しかしこれは誰のめまいなのか、離人感を伴う疲弊が精神レベルをやにわに低下させ、電車の中の人々が羽毛上着を着なくなったようだなあなんて浅薄な季節感を夢現に察知しながら、考えることは自らの無能、人生の大胆な機微、幸福と不幸のタイダルウェイブ、あの日の黒猫が膝の上で眠った暖かなけものくささなど、ぱらぱらまんがみたいな映像と思念の連続が穏やかに目の前を通り過ぎてゆくぼくの視線は目の前のピンク色のポシェットを通貫して空間を捻じ曲げ自らの心の中を覗き込むウロボロスのような有様でした。今日はとてもくさみの出ずる日で、何度も何度もくしゃんでいて、昨日から目頭も何やらおごそかにかゆいし、と感じた段階で遂に私も、人並みに花粉症になってしまったらしいとなんとなく理解る。東京の草花は、都会に仲間があまりいないから、より遠くの仲間に花粉を飛ばす必要があり、だからたくさん花粉を出します。と聞いたことがあり、だから田舎育ちのぼくは花粉に強いんだ! という思慮のない思い込みは打ち砕かれました。都会の方が花粉症リスクが高いというのは、砂漠の方が溺れる可能性が高いと言われているような、直感に反する面白みがあるけれど、初期の花粉症の症状は面白くもなんともなく、ただ目が、私の目がしくしくとかゆいばかりでありました。そういえば、ポケモン図鑑というものがこの世にはあり、ポケモンの解説をしてくれる短い文章なのだけれども、なんとなくネットクローラーしていたら、その図鑑の文章があまりにもよく、良すぎて思わず目頭を擦ることとなった。いわく「たたかいを このまない おとなしいせいかくだが へたに てを だすと きょうれつに はんげきされるぞ。」とのこと。強烈にシンプルで、一生懸命で、言葉と言葉の意味が強固に結びついて力強く、そして文章からポケモンの生きている姿が浮かび上がってくるような、これは詩だ。とくに、はんげきされるぞ。の、最後のぞ、がとても効いている。図鑑なのに話しかけている。ポケモン図鑑はきみに語りかける。へたに てを だすなよ。はんげき されるぞ。可愛い。ぼくもこんなにシンプルな言葉で、強い文章を書いてみたいと思った。

ぞ。