初心と基礎

 たしかなことは言えないけれど、エッセイも小説も、誰かとの関係を描いているようだと気づいたのは14年前のことで、だから自分の好きな文章を書いてみようと意気込んでいたぼくは、そのことに気づいた時にはっきりと絶望して、なぜならとても孤独だったから、人と人との関係などというものには持ち合わせがなく、エピソードがなく、さみしく、またみじめで、孤独だからこそ読書が好きだったはずなのに、ひとりでも最後まで続けることが出来るから文章を書こうと思ったのに、孤独なままでは何も書くことが出来なかった。ひどい裏切りに会った、と思った。書くに値するテーマをひとつも持っていない、とぼくは思ったけれど、ぼくより歳下の作家が面白いエッセイを書き、小説の新人賞を獲っていると気づいた時には、再度絶望することになった。人と人とのかかわりや、人生経験などというものは、書くために必要な要素なのではなく、本当に必要なのは感性やセンスや、才能なんじゃないかって思った。ぼくには、人間関係も人生経験も面白いエピソードも人生をかけて探求すべきテーマも、すぐれた感性も人並はずれたセンスも感動させる作文の才能もなかった。文章を書くために必要なものを何も持っていなかった。
 そういう人が、文章を書き続けるとどうなるのか。そのサンプルを、ぼくはぼくに示し続けている。
 
 エンターテイメントなら、ここから実体験を交え、何も書けなかったぼくが、書けるようになっていく過程を描くのかもしれない。人間関係が増え、感性が磨かれていく様を描き、文章を仕事にするまでになりました、という風に展開するのだろうなと思う。しかし、実際はそうじゃない。ここに今、書いている文章には、ご覧の通りにぼく以外の登場人物はいないし、だからどんな人間関係もエピソードも書かれてはいない。日記のように、ぼくが何を体験したのかを書いてあるわけでもないし、エッセイのように伝えたいテーマがあるわけでもない。書いてあるのは、ぼくが「ただ考えたこと、ただ思ったこと」だけであり、そしておそらく、それだけでこの文章は終わる。このスタイルの文章をなんと呼べばいいのか、というか、この文章は一体なんなのかということについて、ずっとずっと考えてきた。ぼくはこのスタイルの文章を書きたいわけでは、まったくない。本当に何も持っていない人間の文章とは、このようなものにならざるを得ないという、ただそれだけだった。もし面白いと思えるエピソードがひとつでもあれば、それを書く。ぼくはそんなエピソードを心から欲しいと思う。
 でも、ない。
 いつも概ねこのような文章を書いてきた。ただ、何もない、という文章をぼくは書いてきた。時々、それが誇りなのかもしれないと考えることもある。どこにもたどり着かないまま書き続けること。
 以上が2022年までのぼく。
 
 2023年は『初心と基礎』をテーマにしようかな、と考えている。
 14年前の気持ちなど覚えていない。だから、ぼくは今日から始める。
 今日から文章を書き始める。はじめての書き出しからはじめる。
 SNSに文章をアップする時、緊張と恐れで胸がいっぱいになった、誰かが共感してくれるかもしれないって、わずかばかりの期待もあった、何をどうすればいいのか、自分が何をしたいのかさえわからないままに書き続けた、あの頃とは「違う」スタートを切ることができる。
 ぼくは、今日から始める。
 あの頃の自分をなぞる必要はない。
 まったくあたらしいぼくが、ここにいれば、それでいい。
 

 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと