心の拠り所

 心の拠り所という言葉が本の中に出てきて、心臓を握りつぶされた感じになり、吐血し、小刻みに震えながら自らの体を抱き、狭い部屋の中をぐるぐる歩き回っていると、そのうち「何を怯えているんだ」と声がして、それは勿論オルター・エゴで、「去れ! 去れ!」と唱えながら同時に「心の拠り所が……わたくには…………ございません……」と答えながらその場に崩れ、膝をつき、慟哭を始めたのだが、慟哭したところで問題が解決するわけでもないので電気ポットからお湯を出し、カップでコーヒーを作り砂糖を多めに入れ、「しかし、昔はあった気がするなあ」と天井を見上げぼんやりしていると「昔ってのはどれくらい前のこと」とこれはもちろんオルター・エゴなのですが、「そりゃあ小学生の頃とかね、朝起きてから授業中から家に帰るまでひたむきにゲームのことばかり考えていたんだ。あの頃の一種の情熱というのかね、全身全霊でゲームに立ち向かっていく感じ、心から望んでいる感じってのがつまり心の拠り所ってやつなんじゃないかねえ」「そうかもね。そういうの、今は無いのかい」「無いんだよなあ。歳のせいかなあ。ってなんでも歳のせいにしちゃうのも根本解決じゃないわけだからさ、結局は心の拠り所ってやつを明確にする努力をしなきゃならないのかねえ」「努力しなきゃいけないのかどうかは知らないけど、まああった方がいいんじゃないの。ただ無いならないで別にいいんじゃない。だって話を聞く限り今まで心の拠り所がなかったわけでさ、無いまま平気で生きてきたんでしょ。そんなら別に無くてもいいんじゃない」「合理的なオルター・エゴだなあ」「それにさ、もし心の拠り所というものが生きるための必須要素――睡眠とか食事のようなもの――だとしたら、気づいていないだけで既に持っているのかもしれないよ」「色々考えてみたんだけれどさ、でも結局、生命活動に必要なこと以外のお楽しみの数々が無くても生きていけることはなんとなく分かっちゃっててさあ、むしろお楽しみに対する熱が冷めてきて、お楽しみがお楽しみじゃなくなっていく感じ、かつて楽しかったことが今、奇妙に変質して白々しくなって行く感じが、私はなんだかおそろしいんだ」「いつまでも同じ場所にとどまっていることは出来ないということなんだ。どうしたって否が応でも人間は変化を続けるものなんだ」「それはそうなんだけど、そう、つまりここで何が問題かというとつまり喪失感や不安のことなんだ。心の拠り所があるとか無いとか、そんなことはきっかけに過ぎなくて、症状があることが問題なんだ。心の拠り所がほしいという欠如感、心の拠り所がなくなってしまったという喪失感・不安、心の拠り所がないので不安定になってしまうかもしれないという焦燥感、そういうもののことが問題なんだ。その不快感情さえなければ、心の拠り所の有無など些細なことなんだ」「一番簡単なのは心の拠り所を自然に発見することだけれど、もしそれが難しいようであれば捏造するのはどうだろうか。つまり自分だけの宗教・偶像を作りあげることで、それはつまりもう一度お楽しみへの価値観を再発見・再認識・再構成・再起動することなんだけれど、次点は薬で、心の拠り所を失った時の症状をお医者さんに話せばすぐに心が無になる薬をもらうことは可能で、そこで完全に人工的な平穏を得ることはできるともう知っていると思うけれど知った上でそれを避けるべくわたくしオルター・エゴがここにいるわけだと思うので、その手も使わないとなると、お馴染みの認知行動療法だけれど、やはりここはひとつ生活の中にもう一度心の拠り所を再発見する方向で行動してみるのが穏便で、かつ順当なような気がするな。というのも結局は、心の拠り所というものは具体的なストレス対処法でしかないわけで、それは本質的には精神安定剤とほとんど同じ働きをするわけで、じゃあ薬がなぜよくないかというと副作用・依存性が高いからという理由しかないし、心の拠り所というものは薬と同じで、程度の差はあれ副作用・依存性はあると思うし、おそらく薬より金がかかると思うし、ただ生活の中にそれを組み込むことで生きやすくなるというそれだけのものだよ。つまり“君はいつも僕の薬箱さ”だよ」「らいおんハートって、君を精神安定剤だと断言してる歌だったんだ。まあ、そうか。そういやそうだよな、うん、そうだな」「どうだい、何かみつかりそうかい」「全然思いつかないんだけどさ、結局そういうのは、自己との対話を繰り返してみつけていくしかないんだよな」