黙祷

 誰かが死んだらしい。教師がその人の名前を告げた。知らない人の名前。目を閉じて祈りなさいと教えられる。しかし祈るとは一体何をすることなのか。名前しか知らない人に、一体何を祈ればいいのか。目を閉じても心の中にはどんな言葉もない。何をした人なのか、どんな性格だったのか、何をするのが好きで、誕生日はいつで、好きな食べ物は何で、どんな場所にいると心が落ち着くのか、どんな顔だったのか、何も知らない。みんな何を考えているんだろう。本当に目を閉じているんだろうか。祈っているんだろうか。ただ自分だけがうつむいて目を閉じあほのように迷い続けているだけではないのか。教師だってその人のことをどれほど知っているというのだろう。そもそも祈る事、黙祷というのはそうせざるを得ない人たちが、自分のために、自然に行うから意味があるのであって、このように強制されるべきではないのではないか。強制された祈りに敬意などあろうはずもない。強制された挨拶がいつも軽薄であるように、この祈りは死を貶めているのではないか。死への恐怖さえない。悲しみもない。なんの感情もない祈りなどあるのだろうか。おそらくみんな、僕と同じように考えているのではないか。忍び笑いのひとつも聞こえてこないのは、彼らが真剣に祈っているからではなく、ただ教師に叱られることを恐れているだけのことではないか。死とは一体なんだ。このように赤の他人に無関心に祈られることか。これはやはり死の尊厳を踏みにじっていると言わざるを得ないのではないか。なんて無意味な行いだろうか。一体この沈黙から何を学べばいいのだろうか。僕は黙祷させられている。そしておそらく、黙祷を命じた教師さえ、誰かに命じられて黙祷をしている。教師だって死した人間に興味なんて無いに違いない。親兄弟でも友人でもない、どこか遠くの赤の他人のために祈らなくてはならない不条理に、きっと教師だって困惑しているはずなのだ。しかし彼らは子供たちに黙祷をさせなければならない。黙祷を教えなければならない。それが職務だからだ。教育を施すことで教師は賃金を得、あたたかい寝床と一日の糧を得なければならないからだ。彼らだって何も考えていないのだ。俯いて目を閉じている。そしてただ時間が流れるのをじっと待つだけなのだ。祈り方など誰も教えてくれなかった。どうすれば本当に死者に心に届けることが出来るかなんて世界中のどんな賢者だって知るはずがない。死者に祈りは届かない。死者への祈りは生者のためにある。しかし、この瞬間のこの黙祷には、死者さえない。この黙祷に事実的な死者は存在しない。我々は死を目撃したわけでない。触知していない。体験していない。我々の祈りは悲しみや怒りや寂しさが根拠に無い。我々は死のために祈っていない。死者のために祈っていない。我々は命じられたために祈っている。この黙祷は、命令のための祈りだ。我々の根拠は祈れ、という命令ただそれだけだ。これは根本的に祈りではない。命令に対して、どれだけ忠実に行動することが出来るか、それを試されているだけだった。それを訓練されているだけだった。無意味に耐える練習をさせられているだけだった。そしてそれを教師はおそらく認識していた。だから石田が本当に涙を流した時、教師は彼女を見て頬をひきつらせた。それは慈しみの笑みになりそこなった苦笑だった。ズレている。石田はズレている。本質を理解していない。彼女は優しい人間だった。しかし石田はどこか遠くで死んだ人間に対して同情したわけではないのだと思う。彼女が泣いたのは、彼女の内部的な感情故で、やはり死者のために悲しんだわけではないのだと思う。雰囲気で泣いているのだと思う。命令のために泣いているのだと思う。もし命令が無ければ、彼女が泣くことはなかったのだから。黙祷しなさい、と言われなければ、誰かが死んだということさえ知らなかったのだから。世界中で毎日人が死んでいるのだから。そしてそのことを我々はみんな知っているのだから。そして知っているのにも関わらず、黙祷をせずに暮らしているのだから。だから黙祷をしろと言われても、その顔も知らない死者に、一体何を祈ればいいのかわからないことが、むしろ当然だったのだから。だから僕は、誰か勇気のある人間が笑いだしてくれればいいのになあと思っている。それは死者への冒涜ではない。命令に対する反抗なのだから。どうして僕たちは命令されなければならなかったのだろう。あの時、一体誰が死んだのだろう。今となってはもう思い出せない。思い出そうとも思わない。ただ僕は教師に祈れと命令され、言われた通りに心の中で祈った。こんにちは、ぼくはあなたを知りません。知らないぼくに祈られてもあなたは困ると思いますが、ぼくはあなたにあった人生が終わってしまったことがかなしいと思います。といっても、本当にかなしいわけではなく、これはなぐさめの言葉のようなものなのですが、でも、なんかそういう気持ちです。これ以上は、もうしわけないですが、とくに言葉もありません。ぼくはあなたを知らないし、ぼくはぼくを知らない人に祈られるということを、想像できません。