ボイスドラマと人質

 真夜中に気が狂ってVTuberのボイスを購入していた。
 ストレスのせいだ。深刻な心身的疲労故にボイスなどを買うのだ。でなければこのぼくがVTuberのボイスなどを買うはずがない。ぼくは基本的にボイスドラマ的なものを聞くと背中がぞわぞわってなってだんだん恥ずかしくなって気まずくなって最終的にひとりで虚無になり心が落ち込んできて人生というのはいつもどうしようもなくくだらない……という厭世感が高まることになるのだ、なんでかは知らないけれどなるんだ。それは声優のドラマCDでも同様だし既存作品のスピンオフ的ドラマCDでも同じようにぞわわんと成り、だってそれはなんというか台本が見えてしまうから。
 ボイスドラマはいつも発話者の目線がしっかりと台本を見据えている声がして、それはアニメ映像に合わせてキャラクタの表情とリンクした声を発するのとはまるで違う声の響きだし、VTuberなら台本なんてない何時間でも延々とアドリブでしゃべり続ける能力の、つまりそういった要素を完全にスポイルされた、声と台本の世界になってしまうことがぼくには耐えがたかった。この耐えがたさはラジオでフリートークしているタレントからは感じないし、ニュースキャスターの声からも感じないし、小説の朗読からも感じない。要するに声だけのコンテンツの中ではボイスドラマ、シチュエーションボイスと呼ばれる物のみがぼくの肥大した共感性羞恥を揺さぶる。精神的な負荷が大きすぎる。ほかにやらなければならないことも無数にある。それなのにぼくは真夜中にヴォイスドラマを聞いている。ひたすら真剣に部屋を真っ暗にして声に耳を澄ませている。注目して集中している。とても静かな部屋の中にVTuberが一生懸命台本を読んでいる声が響いている。「先生が好きです……」って言ってるじゃん……恥ずかしい。ぼくは恥ずかしい。なんだこれは。冷汗がでてきた。それにやっぱり読むのがうまいとは言えないし、それがまた醸す。いや、下手でいいのだ。それくらいは前もってなんとなくわかっていた。価格も1000円とお安かったし、そもそもVTuberは演技に秀でた人ばかりではないし今聴いているVの者は特に演技ができないタイプだということはわかっていたしだからものすごく読まされている感じをめきめきと感じるし、それでも読まされているという感じを出すまいと精一杯感情を込めて読んでいるところなんかが非常に涙ぐましいし、それはなんというのか恥ずかしいという気持ちを抱いてしまったことに罪悪感を感じてしまうくらいの、これは親心なんだろうか、この応援したくなる気持ちをなんて呼べばいい? このVTuberはわかっているのだ、自分が恥ずかしいことをしているということを分かっていて、そして自らも恥ずかしがっているはずで、そしてそれらを客に感じさせまいとしている、というシステムは人質に似ている。以前一度ブログに書いたかもしれないけれど、真冬の町を歩いていた時、とあるペットショップの前を通りがかって、そこでぼくは人質を見た。店の前に無数の鳥かごがぶらさげてあり、中には小さなセキセイインコが何匹か入っていた。インコはみんな震えて塊になっていた。気温は一桁だった。それを見た姉がキレた。姉は過激派の鳥好きだった。あまりにもかわいそうではないか、この店の店主は狂っている、一言言わなければ気がすまない、といきり立って店に飛び込んで行きそうになったので、ぼくは止めなかった。行けばいいと思った。言いたいことを言えばいい。でもそれはまるで狂気に対抗する狂気だなあとぼくは思った。どっちがただしいとおもう? 鳥を震えさせるペット屋と、それに対して怒りを感じているだけの通行人と。これは道徳の問題なので答えはない。トロッコ問題やバス待ちの列の問題と同じで人それぞれだ。やれやれ、じんせいっていつもくだらない……と思いつつも、ぼくは現場を解釈する。現実を解釈する。それが習性だからだ。あのペットショップの戦略はとてもシンプルだった。ずっと昔から使われてきた技術だ。腕のない孤児は腕のある孤児より施しをたくさん受けられるので、腕のある孤児の腕を取る、という映画があったね、あれだ。この戦略は客が商品を欲しくなって買う、というわけではなく、「かわいそう」だから買う、という行動が起きる。つまり、人間の善意を人質にしている。「あなたはこのかわいそうなものを見てなにも思わないんですか?」店主は言外にこんなメッセージを送っている。ほんとうに人間ってきたないことを思いつくよなあとぼくは思う。でもどうだろう、人間はあらゆるものを人質にして生活を送っている。気づいていないだけで。ゲーム買ってよ~じゃないと友達に仲間外れにされちゃう~は、よく考えてみると吐き気がするほど非人道的な人質だとぼくは思う。閑話休題にて、どうせなら適当に読んだ本でくそオタク共から金を回収するか、くらいに思っていてほしいと切実に思ってしまう、ぼくはそっちの方がまだ気が楽だ、VTuberが恥ずかしがりながら読んでいて頑張っている姿を想像するよりよほど楽だ。ご主人様~とか言って媚びざるを得ない台本を彼女は読まされている。だからどうか恥ずかしがっていないことを祈る。ぼくは最初恥ずかしくなり、それから気の毒になり、今は祈っている。裏側のことなどぼくが知ることはない。だからぼくはただ、このコンテンツを上手く消化する方法に注力していればよくて、それが一番正しいのだろう。と色々考えることがぼくの楽しみなのではあるにせよ、だからとても楽しんだにせよ、それでもあんまりボイスドラマは好きではないなと思う。ずっとリピート再生しているので30回ほど聞いていたらだんだん無になってきたけど、それでもボイスドラマはあんまり好きではないなと思う。なんでぼくは真夜中に真っ暗な部屋でVTuberのボイスドラマを聴いているんだろう。気が触れたからだけれど、それでももうひとつ理由をあげるとするなら、ぼくは確かめたかったんだろう。
 ぼくは確かめたかったのだ。ぼくが本当に狂っているのか、狂った真似をしているのかを。