脳をゆらして溢れさす

 3/4から3/24までの20日間、はてなブログトップページのおすすめ有料記事に載せてもらっていた。最低32アクセスで最高90アクセスだった。普段は10アクセスくらいなので、見てくれる人はとても増えていたが、それでも少ない方だよなあと思う。たぶん普通にお役立ち情報を書き続けていれば普段から100くらい行くんだろうなと勝手に思っている。かといってアクセスを増やしたいわけでもないのでこれからも私は書きたいことだけを書いていく。
 ちなみに紹介してもらった記事はひとつも売れなかった。笑ったし、愉快だ。
 
 久々に映画館に行った。『デデデデ』が22日に公開になったからだ。
 19時に家を出た。映画を観るために夜、家を出るのはわくわくした。映画って夜だ。昼より断然夜がいい。電車の中の安っぽい白い光や元気のない乗客の姿もいい。いずれ客はひとりもいなくなって、下りの電車には私一人だけになってまっくらな窓にぽつんと反射した輪郭のない自分。映画だった。映画館にはあまりに人がいなかった。公開から2日くらいしか経っていないのに3割ほどの入りで、だから今ここに座っている人達はみんなデデデデのファンに違いないなと思った。私はガチのファンではなくにわかだった。最終巻まで読んでもいない。でも劇場版デデデデには期待していた。期待しつつも疑っていた。劇場の照明がひっそりと暗くなり予告編が次々と映し出された時、劇場に透明な霧がかかったような感じになるでしょ。夜はその霧が濃くなる。私はサブカルクソ野郎みたいなデデデデを、サブカルクソ客と一緒に、レイトショーの劇場で見ているんだと思うと、これはどんな鑑賞よりエモかった。概ね楽しかったが一点だけ、たった一点だけ、どうしても一点だけ。デデデデを読んだ人ならどうしたって「知ってるよ!!!!!!!!!」のシーンの破壊力インパクトをご存じかと思われるけれど、あのシーンだけ、あのちゃんの芝居がすこし私の解釈と違っていてくぅ~~んとなった。あのちゃんはおんたんのキャラをまとったままかわいいかつ悲壮感の演技をしたけれど、もっとたましいの咆哮だったんじゃないかと思うの原作は。たぶんすごく細かく作品のトーンとかと合わせてああなったんだと思うけど、もっとラウドな絶叫が出来たと思うの、あのちゃんなら。その直後の三人の涙の演出も、だからなんか若干ピントがずれていてすごく惜しい感じがした。あのとき三人は感動して泣いたんじゃなくて「我慢していた涙がおんたんの絶叫で思わずこぼれた」んだ。うつくしく描く必要はなかった。きれいな音楽なんて流す必要はなかった。あのシーンは感動的なシーンだけれど、あのシーンで感動していたキャラクターはいない。普段はあほしかやらないおんたんが爆発してさらけだしたからみんなの堤防がぶっこわれただけなんだ。というところだけが気になった。他はよくできていた。とても良いアニメだった。夜だった。
 映画は夜だ。
 
『推しの子』11話を一気に見た。240分ほどだろうか。
 あなどっていた。正直、私の好きな話ではないだろうなと思っていたし、キャラで売れたんだろうな~~くらいにしか思っていなかったけれど、知人がぐいぐい推してきたので勢いで見たらとても面白かった。私は映画・アニメ・マンガ・小説などどんな媒体でも泣きながら摂取する人間ですが、推しの子では七回ほど泣いた。見終わった時、すこし痩せた気がした。ちなみにフリーレン全28話を見た時には18回くらい泣いたし、ヴァイオレットエヴァ―ガーデンは一話につき一回泣いた。ずっと痩せるターン。最近のゆうめいな作品てぇのは泣いてしまうものですね。あるいは私には涙の才能があるのか、涙腺が壊れているのか、推しの子はしかしそれほど感動するという話でもないのだよな。私は登場人物がわーっとやる気になって人間が溢れてくる感じを見るともうだめなんだ。意外性のあるシナリオや業界の裏の実態をそれとなく教えてくれる構成もなんだかお得感がありよかった。B小町は挫折や絶望を背負った人が集まっている吹き溜まりの感じもいい。エリートがエリートのまま勝ち進んでも何も面白くないものな。天才と呼ばれている人が実は天才じゃなくて血のにじむ努力をしているだけの普通の人のパターンが私は一番好きだな。努力を積み重ねることが出来ること自体がもちろん才能ではあるんだけど。とてもいいアニメだった。
 
 Vtuberにはまっている。かぐやるなのライブを観に行ってからもう随分経つけれどいまだにVtuberを見ているということは好きなんだろうな。人間のyoutuberはほとんど見ないしあまり興味はないけれど多少RPが混じっているにせよいずれ人間が丸出しになっていくVtuberというものは、私にとってタイパの悪い、とても地味な、スリップダメージみたいな徐々に効いてくる形態で、何が面白いのかというとあまり面白くはないんだけれど、ちょっとだけ面白いのがずーっと延々と毎日毎日続く、という、この続く、コンテンツが無限湧きする、というところに神っぽいところがあって、じじばばが毎日お経を唱えるのと同じように、毎日何かが起きている、私の知らないところで、私から遠く離れたところで何かが起きている、ということを自ら擦りこんでいく、みたいなところが好きだし、ちょっと言い過ぎかもしれないけれど現代の私小説なんだよな。ブログと似ているけれど、そこに人間がいて、私の知らない人間で、その人は私の見ていないところでも継続して生きている、私の認識しないところでも世界は動いている、という感覚が私は不思議で、好きだ。だからその人が面白いかどうかなんてことは些事で、というかどんな人間でも掘り下げていけば必ず面白い部分がみつかるから、私はVtuberを見て、この人のここがすごいなとか、尊敬できるなとか、あほだなとか、あほだけどきらいなあほじゃないなとか、そういうことを考えたり思考停止したりしながら、ぼんやりと13時間くらい見ている。Vtuberってすっごく変だよ。そして私も変だ。変じゃない人間はいない。生きていればそれでいいというところもある。生きている人間が好きだ、というだけのことかもしれない。好きだし、嫌いだ。そして私に嫌われたところで、他者にはなんの影響も及ぼさないということが、私は好きだ。嫌いだけど好きだし、全部好きになんかなれるわけないし、同じように全部きらいになんかなれるわけがない。きらいな時もあるし、好きな時もあります。
 ただ、それでも私は見続けています。神っぽいでしょ。