生きるのに必要な些細な出来事

 わらえるものをわらえるままにしておく。
 笑えると思っていたものがあまり面白くなくなったり、見るたびに悲しくなったり、心が消費したりしまうことはあった。
 部屋の中は熱されていない、そしてまだ新鮮な朝の空気で満たされていた。冷たい湧き水みたいな空気。
 笑えなかったものを、それでも理解しようとし続けているうちにそれが生活の一部になっていた、ということはあった。
 わらえるものをわらえるままにしておく。生きることは単純かもしれない。

 好きなものを用意しておくこと。
 いつか自分にも好きなものができるかもしれない、なんて甘いことを言っていられないほど追い詰められていた時、自分が好きなものは自分で作り出すしかなかった。わたしの好きなものはフランケンシュタインみたいにつぎはぎだらけで、だからつよい。気持ちだっていつか作り出せるようになるかもしれない。それも生きるのに必要な些細な出来事に思える。

やわらかい春の陽差しが冬を殺した

 やわらかい春の陽差しが冬を殺した。

 朝8時の駅のホームの、黄色い線の内側に立ち線路の向こうの、宙に浮かんで見える巨大なスクリーンに映し出された、風邪薬のCMの女優が咳をして紫色の、とげとげした粒が気味悪く笑っているのを意味もなく、眺め体を支えるだけで精一杯だった。
 オレンジ色の電車が風巻き込んでホーム軋ませる花も草も揺れている。ネクタイも人工風に乗って波打って鎮まった。ドアーが開き歩行し座しスマートホンで愛と愛じゃないものについて調べてみるとほとんどが愛だったのでがっかりした。目玉をぐるぐる回転させて車内を見渡してみると、春服の男女カポー、登山へ向かうロウフーフ、道路少年トライブ、蠅、バヤリースのアルミ缶、行楽を迎え撃たんと欲する華やいだ空気弛緩した幸福の中でわたしはひとりだけ紳士服を着衣し業務鞄を所持し牢獄の中にいることに気が付き意識を失ってしまいたいと思った。目を閉じると深海の音がしてそれは物理的な音ではなかった。

サステナブルアイデンティティー』と書かれたバッグを持った女性が渋谷駅を出てすぐのところの階段を降りようとしていてその文字が“きつい光”に照らされて黒く照って目に刺さって言葉の意味を考えざるを得なくなりサステナブルアイデンティティーってなんなんだろうって速が増す。維持できる・耐えうる・自己同一性とは、持続可能自己同一性とは、そんなものを持っている人間がいるのだろうか、それともそれはただの理想で、ただの言葉なのだろうか。維持可能な自己同一性というものがあればおそらくそれは便利ではあっても人間的ではないのだろう。自己同一性というものをそもそも維持できている人間がいるのだろうか。それとも自己同一性というものは“ゆらぎ”をすら含んでいるものなのだろうか? 円環を描く人間の好不調思想の変遷人間関係なんでも含めた移り変わる人間の根幹がそれほど大きくぶれない限り自己同一性は認められるのだろうか一体誰に? アイデンティティーという言葉が便利に使われすぎてポップに使われすぎてそれがまるで性格であるようなペルソナであるような感じに聞こえてきてでもそれはあるとかないとかではなくただの概念だった。サステナブルアイデンティティーが欲しいだろうか、それとも必要ないだろうか。そんなことを野生の羊は考えるだろうか。ヒメジョオンは。ありのままの自分をさらけだそうという言葉はいつもとても胡散臭かった。ありのままとは最もほど遠い人間をアイドルと呼んでいると気づいた時、人間は人間以外が好きなんだとわかった。

 隣席にようやく座った紳士服のおじさんがスマホで漫画を読んでいるのを見かけてそこに突発的な情けなさみたいな感情をわずかに抱いたもののわたしはその時スマホvtuberを見ていて同族というのか同属というのか結局のところいくつになっても面白いものは面白いし面白くないものは面白くないでいいよなと友情のような気持ちを抱いたけれどその似非友情も気持ち悪くなって光の中に溶けたいそんな朝の通勤時間がいつまでも続いていくような錯覚。明日も、明後日も、30年後もそうしているつもりか? と自問自答を繰り返しため息が北半球で竜巻になる。生きているというより存在しているだけでいいのかもしれないなと幸福の最低保証をさらに引き下げて価値観の転覆を図る。必死に生きている時かならず死ぬことが決まっていた。何についても語りたくないと思ったし、語るなら大事なことについて語るのがいいと思った。でも大事なことはいつも語ることができないことだし、語りたくないことを書くなんて馬鹿げた馬鹿はわたしにはできない相談だった。だからいつも中庸な題材をここにしゃんと提出している。それをわたしはにわかに楽しい。そうしてそのことがいつまでも続けばと祈っている。この文章はとてもたのしい。

東京の光景

 休暇最終日。よく考えると小学校の夏休みは1カ月もあったのに、僕はなぜ何もしなかったのだろう。後悔ではなく単純な疑問が湧いた。それからすぐに答えは出る。何もしなかったのではなく、何をすればいいのかわからなかったのだし、そもそも覚えていないだけで何かはしていたはずだ。

 姉の家に一泊した。特にすることもなかった。僕も何かすることを求めて姉の家を訪れたわけではない。季節外れのクリスマスプレゼントを渡せればそれでよかったし、退屈なら退屈でよかった。いつでもリゾート気分で生きているところがある。ある一定の年齢に達してから、退屈を退屈と思わなくなった。暇を暇と思わなくなった。それはたしかに成長のひとつだと思う。けれどその成長が自覚されたのと同時に時間の流れがあまりにも加速するという症状も併発した。退屈が消えた代償は体感時間の加速だった。うまくできている。

 姉は寝ていた。姉の友人がキッチンで料理を作っていた。姉の友人に話したいことがなかったので黙っていた。姉の友人も無理に話そうとするタイプの人間ではなかったので、ダイニングキッチンにはそれなりの沈黙が降り立った。ある人間とある人間の間に沈黙があるとき、互いに不快ではない関係を構築するのはまあまあ難しいことだと思うようになった。そこには相性がある。またそれぞれの信念があり、それぞれの恐怖がある。また、気分がある。一度構築した関係だって永遠ではない。常に変化する。時と場で変化するし、あらゆる変数で変化する。だからこそ沈黙を気にしないでいられる関係というのは貴重だった。
「パイナップル食べる? 台湾のパイナップル」と姉の友人は言った。
 僕が返事をする前に、タッパーに入ったパインが目の前に現れる。フォークが既に刺さっていたので、ひとつつまんで食べるととても甘い。
「うまい」と僕は言った。
「そう」と姉の友人は言った。

 しばらくすると姉が起きだしてきた。クリスマスプレゼントを渡すなどした。短く近況を報告するなどした。そのあとで、どうしてそういう話になったのか、「あんたって高校の時、なじめてなくて苦労したよね」と姉は言った。たしかに僕は高校に全くなじんでいなかったし、苦痛で不安で疎外感でストレスだったことを覚えているけれど、でもその印象は姉の口調とは裏腹に、もっと軽いものだった。言われるほど僕は苦痛を感じていただろうか? 自問しなければならないほど高校入学時の印象は薄かった。僕はもっと気楽に生きていたように思っていたけれど、それは後から記憶の改ざんが起きていただけで、勝手に生きやすく肯定して忘れただけで、本当はもっと深刻にダメージを受けていたんだろう、なんだかそんな気がしてくる。しばらくそのことについて考えているうちに、ひとつの結論にたどり着いた。ああ、そうか、僕はどんな場所にもなじんだことなんて一度もない。いつも毎回胃が痛くなるほど苦痛を受けてストレスを感じて不安で心配で、近くの人間が消耗してしまうほど僕は深刻にダメージを受ける。つまり新しい環境への順応が下手だし才能がない。しかし、その苦痛を僕はいつでも必ず忘れてしまう。何しろ苦痛を感じるのは最初の三カ月くらいで、あとはどうでもよくなるからだ。そしてどうでもよくなってからの方が、時間的には長いからだ。長い時間を過ごしていると、これは順応が下手で才能がなくてもいずれなんとなくなじんでしまうものだ。そこまでがセットで、僕はどうにか生き伸びてきたにすぎない。今でも本当に奇跡のようだと思う。なんか平気で生きてること。

 帰宅の途中で本の町・神保町に向かう。三省堂書店神保町本店は近々改装のために閉店するという情報があった。地下鉄を出るといきなり大規模デモ行進にかち会う。警視庁を背中に背負った警官たちが手を広げて車道と歩道をぐるりと囲んでいる。デモ行進者達は横断幕を広げてシュプレヒコールしながら国道を長い列になって進んでくる。東京だなあ。デモ隊が過ぎるまで車も歩行者も進むことができず、ただぼうっと長い列を眺めているほかなかった。にやにやして見ている人、親指を下に向けて意思表示する人、それからカメラを向けて撮影する人、いろんな人がいた。僕はいろんな人を見ている人。昭和の日なんて休日じゃねぇんだ働けバカ! とスピーカーを使っていた女性が虚空にがなる。デモ隊の声が遠くに消えていくと、町は何事もなかったかのように動き出す。三省堂書店では本を二冊買った。神保町の三省堂が好きだ。一時的にとはいえ閉店すると聞いて、そのことを改めて思い知らされた。一階の入り口付近で「作家が選んだ本」のコーナーを催していて興味深かった。また文具コーナーで閉店セールを実施しておりモレスキンが70%オフになるなど破格の値付けで驚かされる。「これ、安すぎる……メルカリで売った方がもうけるんじゃない?」父親が10歳くらいの娘にそんなことを言っていたけれど、娘の方が一切無視していた。なんとなく愉快なきもちになった。

 

 

足を踏み鳴らす男

 休暇2日目。

 休むということは、休むということだから、休む時は休むこと、以外のことをしないこと、が肝要であると思われ、では休もう、と、休暇の初日に改めて決めたわけではあるのだが、空白を空白のまま保つことが難しいように、最大・最強の休む=絶対安静(一切の行動・思考を経ち情報を遮断し、寝ること)を保つためには、休むという言葉の印象に反して、強い意思が必要となる。ということを感じています。何もしないこと、何も考えず、どんな情報にも触れないこと、は、治療行為や、贖罪や、あるいは修行でもない限り、拷問の様相を呈し始め、ある種の苦痛をもたらすわけであります。情報化社会と呼ばれて久しい昨今、無料で無限のディジタル・コンテンツをひたすらに摂取することが可能な天国、あるいは地獄、もしくは煉獄の世界で、ぴかぴか光る箱を眺め続けることで一日を終えることに危機感を感じたのは、きっとはじめてテレビジョンが開発された頃から、ずっと続いているホモ・サピエンスの、ホモ・ルーデンスの、功罪でありましょう。それはまったく人間的でありながら、だからこそ人間の生物性を蔑ろにしているのではないか、などと思われたわけですが脳のないクラゲさん、は海流に乗って何も考えず浮浪などして極楽とんぼのうつくしさがありました。きっと自分が生きていることすら気づいていないから、あんなに透き通って綺麗なのでしょう。無心でネット・サーフィンを続けていれば、いつか人類もやわらかく、透明になっていくのかもしれません。

 なんの話でしたでしょうか、ついついTwitterを見てしまう話でした、それからYoutubeでお気に入りチャンネルが更新されていないか、お気に入りブログが更新されていないか、チャット・サービスにメッセージが来ていないか、そういう確認をしてしまう。それをしないことにはストレスだ、息が詰まる、自然ではないと感じる……そんなふうになりましたね。20年前は、新聞のテレビ欄を見て、雑誌で新しい情報に触れ、たくさん想像をして過ごしました。限られた情報の中から最大限の効果を引き出すために、何度も記事を熟読玩味し、頭脳で反芻し、手にすることのできないものに憧れました。現在は、欲しいものはAmazonがなんでも運んできてくれるし、誰とでもいつでも無料で朝まで話していられるし、Youtubeにさえ接続すれば好きな番組を好きなだけ見られます。大人になったら、このオープン・ワールドは自由度を増して、どんなことでも出来るようになって、スーパーカップを2つ買って2つとも一気に食べました。それから贈り物を買って故郷に送り、メッセージに返信をし、マンダロリアンのシーズン2の最後まで見て、スーパー銭湯に行こうと3時間ほど念じて諦めたあと、クリスマスプレゼントを持って姉の家に向かいました。4月も終わりかけ、ようやくクリスマスプレゼントを選び終えたところです。世間の時間の流れは早く、サンタクロースはフィンランドに帰りましたが、僕はまだTOKYOでがんばっています。寝たい時に寝、食べたい時に食べ、そうして不安を感じない今日は休暇の2日目。気持ちの余裕、時間の余裕、体力・気力の余裕、休暇が持つ余裕は、あらゆる行動の効果を高めるものだとわかりました。電車の隣の席に座ったおじさんが、革靴をぱたぱたと響かせています。ひっきりなしに足を踏み鳴らし、スマートホンで麻雀のゲームをして、僕は多様性について考えさせられました。全ての多様性を許容したら、そこには混沌しか残らないのではないか。でも、それはそれでいいのか、とも思いました。今も昔もこの世界は混沌が溢れていました。姉がメルカリで人形を買ったんだそうです。買ってみたら予想よりかなり大きく、しかもかなり臭かったので、半分にへし折って捨てたそうです。

 

エンドロールは夜の国道

 休暇一日目。
 レンタサイクルで多摩川に行こうと思った。
 理由は特にない。なんとなく行こうと思った。
 14時に家を出た。帰宅したのが20時だった。
 都合6時間、自転車で走り回っていた。家から多摩川へ、多摩川から東京湾まで走った。
 東京湾は海だ。
 様々な景色を目にした。けれどほとんどの光景を忘れてしまった。光、風、車、人、斜面、そして獰猛な緑。そんなものが見えた気がした。獣、喫茶店、父親と娘。
 春の町並みは美しかった。気温は27度で蒸し暑かった。しかし耐えられないほどではない。
 天気は曇り。僕は電車でも原付でも自動車でもなく自転車に乗る必要があった。
 自分の力で前進することが必要だった。
 それは根本的に生きることと同義だった。そして走行中に分かったことがひとつある。僕は根本的に二輪車の運転が好きだ。そして根本的に楽しいことが好きで、根本的に楽しいことを瞬時に理解することができる。まるで鋭敏なレーダーのように。
 二輪車の利点は軽量であること、安価であること、そして快適ではないところ。雨が降れば雨に濡れ、風が吹けば転びそうになり、顔に虫が飛んでくる。つまり四輪車との違いは、その情報量の差だった。二輪車は守られていない分、圧倒的に感じることが多い。動いているのは僕自身なのだとはっきりわかる。
 とてもよい休日。
 膝と尻と手のひらが絶望的に痛んではいるものの、往復約60kmの旅は痛快だった。
 東京湾はちどり公園に着いた時、ベンチに寝転がってぼんやり浮かんでいるタンカーを眺めていた。まったく人のいない海際の公園だった。遠くにろうそくのように火を灯した煙突が見えた。
 暗くなってから巨大な国道を走り抜けて帰ってきた。
 真っ暗な長い道を自転車がひたすら駆けているエンドロール。

 

今週のお題「好きな公園」