フライドチキンを守れ

 勤務時間の終わり頃、いつも食い物のことを想ふ。
 私<水たまり>の中の獣<ケダモノ>が餓<かつ>えている。
 ――頭の悪いルビを振りたい。意味のない言葉の海を漂っていたい……。
 自問する。今日は何を食べて生きるつもりなのか、と。
 私の体は食べた物で創られている。食べる行為とは、すなわち創作だ。
 創作なら、いつだって最高の結末<おなかいっぱい>を迎えたい。

(フィーリングでフライドチキンにした)
 
 最寄りのフライドチキン屋を検索すると、自宅のある町から4駅離れた場所にあった。
 電車の中で眉間に皺を寄せて窓の外の暗がりを睨み頭を悩ませているのが私だ。
 4駅。
 ティッキンを持って歩いて帰るのは難しい。なぜなら外気温は8度である。歩いているうちにティキンは熱力学第二法則に則ってちべたくなる。“チキン冷めちゃった”になってしまう。それではせっかくの食い物が台無しだ。食い物は常に最高のコンディションのうちに頂くべきなのだ。それが食い物に対する最低限の礼儀というものだ。
 4駅。
 電車で帰るのは恥ずかしい。フライドチキンの独特な薫り高いスパイスがたくさんの人間を満載した車内に充満してしまったら、百の獣の飢えを刺激してしまう。獣は何も考えない。ただ欲求するのみだ。しからば車内で暴動が起こる事は必定。南栗橋行き東西線2号車は血の海と化すであろう。つくづく業の深い食い物だ、フライドチキンというものは。
 4駅。
 タクシーを利用したらいかがだ。しかしたった4駅のためにタクシーを使ったりなどしたら、運転手に嫌な顔をされるのではないか。もし嫌な顔をされたら、深く傷つき、一週間は寝込むことになるだろう。私の心は桃かマンボウかというほど繊細だった。一週間も休んだら会社をくびになってしまう可能性さえ控えている。くびになるのはいいか。うんそれは別にいい。
 私は哲学者のように悩んだ。
 そして冒険者のように無謀だった。
 私は工夫をして電車で帰ることにした。フライドチキン箱を包んでいるビニール袋の口をきつく縛って香りを封殺する作戦を考えたのだった。
 
 チキン4ピースとポテト&クリスピーを手に入れた。
 作戦通りにビニール袋の口をきつく結んだ。
 電車に乗り込んだ。うっすらといい匂いがしている気がした。私は一番端の車両の更に端のドアの脇に立った。
 最寄り駅に着いてドアが開いた途端に歩き出した。
 電車に乗っているとはいえ4駅は少し遠い。すでに食い物の熱は2割ほど失われているように感じられた。フライドポテトが最高のクオリティーを保てるのは5分だと言われている。10分を過ぎると劣化が始まる。油は冷めて酸化し、香りも風味も失われていく。肉料理もおそらく同じくらい“死”が早い。温かかった食い物を冷めてから食うのは罪悪だ。料理人にも素材にも失礼な行為だ。
 自宅は駅から徒歩10分。いつもなら気にしない距離が、今日は果てしなく遠く感じられた。
 とぼとぼ歩いている女子高生を追い越した。カートを押している老婆を追い越した。犬を連れた豊かそうな中年を追い越した。点滅する青信号を駆け抜けた。自転車止めのポールを華麗なステップでかわした。書店の誘惑にも負けはしなかった。“まだ陽は沈まぬ”急いでいる時、私はいつもメロスの気分になった。自分のためでもない、セリヌンのためでもない、もっと大きなもののために私は急ぐのだ。
 早歩け、私。

 帰宅して靴を脱ぎ照明のボタンを押した瞬間にテーブルの上にチキン箱を置きハンドソープで手を洗いスーツをハンガーにかけシャツのボタンとベルトを同時に外し全部脱いでパジャマに着替え袋を開けようとするも固結びしたので取れずカッターで切り裂き箱のふたを引き破るように開いて一番上に乗っていたクリスピーを手に取った時、邪知暴虐の王ディオニスが涙を流していた。
 
 まだ、あたたかい。