昨晩、同級生と飲み会をした。都内に一軒しか残っていない居酒屋の一番奥の席に通された。洞窟の最深部みたいな席だった。薄暗く、先がなかった。チューハイみたいなものを何杯か飲んだ。今の私にはこの程度のアルコール量の酒で充分なんだと分かった。途中でノンアルコールカクテルというのも飲んだ。それはおいしいジュースのことなのだが、ノンアルコールカクテルという名前がついていた。三人で都会の町をぶらぶら歩いた。我々は田舎育ちだった。田んぼの中にある高校に自転車で通った。教室の前の方には大きなストーブが置いてあった。今は発光したビル群の隙間を震えながら歩いて、それぞれの生活の断片を持ち寄って、大人についての考察を深めている。不思議なものだなあと思う。私はあの町から抜け出すことは出来ないのではないかとずっと考えていた。未来のことは誰にもわからない。
22時ごろ帰宅した。ポストに写真集と画集が入っていた。沢田教一とベクシンスキだ。体が冷え切っていたので風呂を沸かして入った。湯に浸かりながらホロライブのゲマズライブを見た。すこし感動した。それからずっとねちねち考えていることがあって、ミオシャの小足の面白さに気がついたのは私だということ。私はミオシャが小足した時、すごく面白かったのでGIFで切り抜いて友人達に送信したことがあった。それからずっと後にミオシャの小足が有名になって、今では公式がそれをネタにしている。あの時SNSに切り抜いた動画を投稿していたらなあ! と今でも思うんだけれど、たぶんあの時に面白いと思った人は全国に1万人くらいいたんだろうなと思う。同接が何人いたか覚えていないけれど、あの中で面白さに気がついた人は絶対にいたはずだし、私はその中の一人でしかなかったわけだし、何より、おそらく、ミオシャ自身も「このダンス、なんか面白くないか?」と思ったんじゃないかと思う。であるなら、やはり面白さに最初に気づいたのが私だ、という浅はかで傲慢な考えには何も意味がなく、ただそれを形にしたミオシャがすごかった。ということをずっと考えている。
風呂上がり、沢田教一の写真集をとりあえず全部目を通した。社会の教科書にも載っていた、あのベトナム戦争の写真がきちんと収録されている。この人は他にどんな写真を撮ったのか興味があった。戦争の写真だった。残酷な光景もあった。笑える光景もあった。
ベクシンスキの画集はとても楽しみにしていた。第3巻で、ドローイング(線画)がメインだったからか、妙に古本が安くて助かった。ペインティングとドローイングの概念を再認識した。そしてドローイングでも面白い作品は面白いと改めて理解した。私は日本のアニメ・マンガとそれに類似したイラストのドローイングを見過ぎたし、だからその線画に食傷していたし、それが線画のすべてなのだといつの間にか思い込んでいた。でも違った。世の中はきちんと広かった。まったく別な発想の線画がある。極論すると題材が面白ければ(私の興味のあるものなら)どんな方法で描いても面白いのだなと思った。ベクシンスキは邪神みたいなものをたくさん描いている。ベルセルクの元ネタっぽいのもみつけた。簡単に言えばダークソウルだ。ひと目見て気味が悪い、気持ちが悪い、怖い、と思わせられるって、すごい力だ。私は邪神がかっこいいと思っているわけではなく、人間の想像力や発想が、常識の外に突出した部分に感動する。でも例えばハンマースホイの絵もすごく好きだ。あの開いたドアや背中に「気づいた」んだなって思うから。気づくというのは、物事の別な側面や、言語化できなくて見過ごしていた部分の面白さを、あたらしい価値をみつけることだから。
ベクシンスキの絵に影響されたのか、変な夢を見た。夜の学校の校庭を歩いていたら、夜空に宇宙ステーションが見えた。とても大きく、近い位置に宇宙ステーションが浮かんでいた。私は近くにいる人に「宇宙ステーションだ!」と話しかけて、その場に寝転び、空を観察していた。宇宙ステーションはぐるぐる回転したり、急に遠くへ行ったり、急に近づいてきたりした。「ふーん、宇宙ステーションって、マウスで拡大縮小したみたいな変な動き方なんだな」と思った。