After all

 好きな小説ってなんだろうって、よく考えた。色々なタイトルや物語が思い浮かんだ。でもそれは、本当に好きな小説じゃない。1000回、同じ小説を読んだというなら、それは私の好きな小説だろう。そう認めてもいい。でも1000回も読んだ小説は無い。もっと適切な答えがある。私が好きなのは「まだ読んだことがない小説」だ。
 私は「まだ読んだことがない小説」を1000回以上読んできた。だから自信を持って言える。「まだ読んだことがない小説」が好きだ。
「まだ読んだことがない小説」を書店で買うとき、その小説は今まで読んできたどんな作品よりも素晴らしい可能性があるということに誰もが気づいている。当然、そうだ。全然面白くなさそうだし読みたくないから買おう、と思う人はいない。いないと思う。え、います? いるかもしれないけれどそれは私ではないのでここではその可能性は無視する。ここには私の好きな小説のことを書くことになっている。
 私は、すごく面白そうだと思うから本を買う。タイトルや装丁、作者の名前や、もっと本能的な表現をするならその本が醸し出すオーラのようなものを読み取って、心が動いたものを買う。私はその少ない情報の微妙な感触のみを頼りに本を選ぶのが好きだ。レビューなどは見たことがない。意味がないからだ。それは他人の意見であって私の感想ではない。私は私が面白いと思うから面白いのであって、他人が面白いと思ったから私が面白いということはない。反対に、他人が面白くないと評価をしても、その小説が私にとって面白くないということにはならない。あの人が面白いって言ってたから読んでみよ! なんて、軟派で柔弱で自我の希薄な読み方はしない。いや、ごくたまにする。ごくたまにするし薦められた本がこれ以上ないくらい面白くて人生が変わりました神神神! くらいの衝撃を受けたこともある。あるんかい。あるけど少ししかないからここでは無視する。私は色々なものを無視して生きている。当然、そうだ。すべての意見を受け入れて他人の物差しばかりあてにして生きていたら精神が崩壊して自分が誰だか分からなくなってしまう。だから基本的には私は自分で読みたい小説を選ぶ。
 すごく面白そうだと思う時、その小説はその段階では世界で一番面白い小説だ。すごく面白そうだと思う時、その小説は読む前から傑作だ。面白そうという感覚こそが、ある意味では私の好きな小説の本質だ。読み始める前から、それは私の好きな小説だ。だから私は「まだ読んだことがない小説」ばかり、好んで読んできたのだろう。
 というのが現在の私の意見だが、私はいつか「まだ読んだことがない小説」よりも好きな小説に出会えることを、本当はこっそり期待している。完全無欠の、私のために書かれたような小説を探している。1000回読んでもまだ飽きない一冊を探している。「まだ読んだことがない小説」をもう読まなくていいと思ってしまうくらい好きになれる小説を探している。何千冊も読んだ人より、たった一冊を何千回も読んでいる人の方が、しあわせなんじゃねーかと思うんだ。そっちの方が、より純粋なんじゃねーかと思うんだ。当然、そうだ。それはもう、好きとか嫌いとかを超越している。
 つまり、愛だぜ。
 
 
 
 

今週のお題「好きな小説」