中年の危機をうだうだする

 20代の後半あたりから、ずっと中年の危機だったのだが、今も中年の危機で、これがさとり世代の空気かもしれないなあ等、考えながら、ネットで正しいさとり世代の定義を調べているうちに、つくし世代という言葉もみつかり、自分を犠牲にして他人に尽くす世代みたいなことが書いてあって、ああーなんかそれもわかるなあ等、考えながらも、ゆとり世代的な考え方も分かるなあと考え、つまるところ何世代でもいいのだけれど、何世代かはっきりさせてくれたらこの延々と続く中年の危機を誰かのせいにしてすっきりできるかもしれないという魂胆があったのではあるがしかし、それをはっきりさせたところで私のアイデンティティの大きな割合を占める内省が、良きにつけ悪しきにつけカテゴライズをいつか脱却しようとする方向へ自らを導くだろう。
 オードリーのオールナイトニッポンで若林さんが「中年の危機ってエンタメにならないんだよな。全然面白くないじゃん」というような内容の事を言っていて、たしかにそうだなあと思う。若林さんは私より年上で、私よりたくさんの経験をなさっているだろうし、比較にはならないとは思いつつも、やはりある意味では私も若林さん世代と同じように、色々なものに対する興味や意欲を失っており、どこにも行きたくないし、おいしいものも別に、食べ飽きたし、みたいな感じになっている。それはなんというか、絶望とは全然違っていて「腑抜けている」という感じで、クールでもなくて「空白である」という感じで、高温でも低温でもなく「ずっと生ぬるい」という感じで、だからまったくエンタメにならないし、だから自分自身がどんどん面白くなくなっていく、というループな気がする。
 面白い番組や映画やマンガや小説は、楽しいし面白く感じるけれど、その楽しさや面白さが私の魂を揺さぶるかというとそうではなく、おいしさは分かるけどこのおいしさはおいしいだけでなんかもう前にもこういうのはあったし、新しくもないし感動もしないし経験でさえないし、なんかな。って感じになって、あらゆるコンテンツに白けている。中年の危機である。
 何かしたいな、でも何をしたらいいんだろう、何もしたくないな。と思う。どこかへ行きたいな、でもどこへ行きたいんだろう、どこもかしこも似たような場所ばかりだしな、と思う。生きていてもつまらない、ただただ疲れ、くたびれ、空腹を満たすためだけに食べ、死なないためだけに忙しく働き、死なないためだけにぼんやりと電車に揺られ、こんな生は、こんな私はもう、この世に必要じゃないんじゃないかしら。いやそれはそうで、最初からあらゆる人間は別にこの世に必要ではないと分かっているし、人類の99%は他人に迷惑をかけている嫌なやつばかりだし、もちろん私にもその傾向を認めるが、だから死にたいかと言われると別に死にたくもないし、生きたくもない。死ぬことを考えることにさえ飽きているというか、死ぬからなんなんだ、というところまで行っている。死んだ人なら見てきたし、死んだ人をたくさん知っているし、それは悲しい事さびしいことだって分かっているし、そのような感情はたしかに芽生えるが、私の死には関係がないし、死はいずれ去るし、感情だって三カ月くらい経てばだいたい綺麗さっぱり日常へ還元される。私は、私自身の人質にすらなることが出来ない。
 そしてそういうすべてに対して絶望しない。改善のための努力もしない。無気力、空虚、空白、吹雪でも快晴でもない、まいにちちょっとだけずっとくもり。なんにもおもしろくない……。
 しかしながら、今ひとつだけ希望が見えたことがあって、ある友人は、そんな空虚さにはあまり関係のないところにいるらしいことが、なんとなくわかってきた。
 彼は何回か私が書いてきた友人で、オタクだ。ひどくオタクだ。高校生の頃に出会って、彼を見た瞬間「あっオタクだ!」と思ったほどオタクだったし、見た目だけではなく内面もオタクだった。彼はあまり中年の危機には(少なくとも今は)関係がなさそうなポジションで日常を生活しているように観察される。なぜかと考えると、彼がオタクだからだ。オタクとは何かというと、好きなことがある人のことだ。また、好きなもののために犠牲を払うことを厭わない人達のことだ。ロールプレイングゲームには昔「勇者」というロールがあって、彼は大抵、運命とか神とか血筋とかに選ばれて勇者になるわけで「よし、おれ勇者になろっと!」と思って勇者になるやつなんて多分いないんだけれど、オタクもたぶんそういう風に、選ばれた者なのであり、また選ばれた運命、宿命、血筋などを受け入れた者(受け入れざるを得なかった者)なのだろうなと思う。テレビ番組で、入れ墨だらけのギャングの人に「どうしてあなたはギャングになったんですか」と聞いてみると、「なりたくてなったわけじゃない」とギャングの人は答えた。ある意味でそれがすべてというか、勇者もオタクもギャングも結構おんなじなんだよなと思う。気がついたらなってるものだし、なるようになるし、なるようにしかならないし、だから私がいくらオタクに憧れても、彼らのように世界のすべてを燃料にして好きなものへ向かっていく姿をうつくしいなと思っていたとしても、たぶんオタクにはなれないし、まあ、なれなくてもいいかとは思っている。
 中年の危機には、たぶん、それなりの意味もあるんだろう。
 この私の状態だって同じように、選ばれ、そして選んだものなのだろうから。