ミスと平和と人という字

 今日はミスをしてしまい大変申し訳ございませんでした、という気持ちになるわけでもなく、なんでこんなくだらないミスを、と、自らに対する怒りで非常に疲れ、中年の自責思考は多大なストレスとなり鬱となる、のメカニズムを体感しているのだが、しょうもないミスが積み重なると自分自身を信用できなくなり、それは仕事でミスをするより悪いので、ミスすることをなんとか防ぎたいのだけれど、どれだけ気をつけようとも、そもそも認知・認識が及ばないことでミスをしているので、やり方自体を変える必要があり、やり方を変えようと考えたのだけれど、自動化しない限り完璧にヒューマンエラーを防ぐ事は出来ず、かといって闇雲に確認を増やしても工数がかさむばかりで何も得せず、本当にしょうもない。仕事でミスを減らす最も確実な方法は、仕事をしないことである。私がミスをした作業自体を無くす事が出来ないかも考慮しつつ、当分は工数を増やす方向で進める他ない。

 スカイリムがA級バグで進行不可となったのでプレイをやめ、代わりにというわけではないにせよレッドデッドオンラインをしている。一日の終わりにゲームをすることは、私にとって健康維持に必要だ。ゲームとは体験であり、生活の仮想訓練であり、教科書であり、抗不安薬であり、純粋な喜びであり、日課であり、自身の細分化であり、もう一つの人生です。RDOはアメリカ西部劇を題材にした名作オープンワールドFPSオンラインゲームであり、その自由度の高さゆえに非常に民度が低い。馬に乗って荒野をぽかぽか歩いていると突然足元が爆発して馬もろとも吹き飛ばされて死んでしまった。リスポンして三歩歩くと再び爆発して死に、生まれては死に、生まれては死にと無限に殺され続けたりするのは、いわゆるチーターがいたずらをしているからなのだが、されている方はいい迷惑で、こちらは反撃することも出来ないのでゲーム自体が嫌になってくる。悪意に満ちているゲームなのだが、チーターではなく普通のプレイヤーも目が合うと銃撃してくる。全体的に非常に敵意が強いので、悪意が循環し、目に映る者は全て敵だと思わないと生きていられないと誰もが思っている世界で、私はそれが嫌なので、誰も殺したくないので、私にダイナマイトを投げ続ける白いハットの女ガンマンに手を振り続けていると、女ガンマンは私を殺し続けることをやめ、ついに私に手を振り返す。私はその瞬間がとても好きだ。ひとつ悪意の輪を断ち切った感じがするから。私と女ガンマンはぐるぐると走り回り、目が合うと手を振ったりして、ノンバーバルで幼稚な、しかしとても大事なコミュニケーションをとる。それはつまり、平和というものの共有である。私は馬に乗って街を離れ、ウサギを狩って街に戻る。するとまだ街に残っていた女ガンマンが条件反射的に私をダイナマイトで殺す。私はリスポンし、手を振る。

 電車の中、おじさんの肩におじさんが頭を乗せ寝ていて、人という字が完成している。