うそつき

 今日も一日、恵みをくださる 神様に感謝! 感謝!
 生きているってホントに キモチいいことだナ!
 明日もラーメンが食べられるだなんて俺は イイ国に生まれたもんだっ。
 若い頃は、そりゃ苦労もした・・後悔ばかりの 人生でしたが、楽しくなかったといえば、嘘になる。
 学校を出て、働いて、カミさんと一緒に 笑って、頑張ってきた。
 こんなシアワセが ずっと続いてきたんだから、すこし苦労をしたって、明日を信じられるんだな。
 
   ●
 
 という感じの文章を突然書きたくなって書いた。
 なんかおじさん(ファジー)みたいな文体を目指して書いたけれど、あまりコードが見えていないので、はずかしい。
 文体を得ることは新しい言語体系に身を投じるのと同じように、新しい思考をも得ることなのだろうなと思う。新しい視点、新しい表現、自分にはない何か。
 
   ●

 この間、アダーを見ました。
 玄関のポストについていました。アダーは小さいくもです。
 春になるとアダーはどこからかやってきます。
 ぼくはアダーには来ないでほしいとおもいます。
 アダーはすぐつぶれてしまうからです。
 それに、ほんもののアダーはずっと前にぼくのなかで
 同一性をうしない、今ではただ
 むすうの非アダーがそこらじゅうにあふれているだけで
 形象化したアダーという存在の
 fragmentからアダーを思い出すことすら
 苦痛であるからです。

   ●

 まったくどうでもいいことですが、まぶたの厚さが1センチあったらいいと思いませんか? 人類のまぶたはいささか薄すぎる。
 わたしは思った。
 もしまぶたの厚さが1センチあったら、きっとアイマスクをする必要がないほど光を遮断できる。
 そうしたらちょっと仮眠でもしようかなと思った時に太陽の光が全然まぶしくないのだ。とわたしは思った。
 だからもしわたしが次に生まれることがあったらまぶたが1センチあったらいいと思う。
 かばみたいに鼻穴が閉じられるようになっていればもっといいし、サメみたいに歯が無限に生え変わったらいいと思うし、ゴリラみたいに握力が500キロあればいいと思うし、鳥のように翼があればいいなと思うし、こうもりみたいに超音波が出せればいいと思う。
 それからまったくどうでもいいですが、草のように生えていたい。

   ●

 という感じの文章を書いてみて、30分経ったので、今日は切り上げようと思う。
 記事のタイトルは「うそつき」としたが、特に意味はない。さっき友人とLINEで話していたら、友人らがウーバーイーツに対してものすごい偏見を持っていて、その偏見の思考って反ワクとか陰謀論とかの考え方と似ているなって思って、少数の悪しき行いや失敗を全体に敷衍する考え方、何か名前があるのだろうか、知らないけど、それを「うそつき」という言葉で記録しておこうと思った、ただそれだけ。