日記

 いわゆる水垢というやつは、汚くないということがわかった。
 水の中に含まれているカルシウムやマグネシウムが白く固まったものが水垢の正体なので、それは石のようなものであると、私は考える。
 しかし、ぬめりは汚いものであるということがわかった。
 水回りの謎のぬめりは、雑菌が繁殖する際にぬめり成分を分泌するからぬめるのであって、つまりぬめりとは雑菌の塊である、と私は考える。このぬめりにはバイオフィルムという名前があり、雑菌たちが何ゆえにバイオフィルムを分泌するのかというと、外的要因から身を守るためらしい。バリアである。粘着することでより増殖しやすい環境を作ろうとする意味もあるのだろう。歯磨きをしないと口の中がぬめるのもバイオフィルムらしい。ペットボトルの水を放置しておくと、ちょっととろみが出てくるのもバイオフィルムだろう。謎が解けた。
 ふーん、おもしろいな、と私は思った。
 雑菌やカビは私の周りにごく普通に存在しているけれど、いつもは目に見えないし、それが何をして生活しているのかも、私にはわからない。でもたしかに居て、そこでなんかやっているらしい。
 私の生活と彼らの生活が、たまに何かのきっかけで衝突すると、私が病気になったりする。と同時に、菌の方でも「なぜかわからないが今日は風呂場がやたら殺菌された。人間がなにかしたらしい」みたいなことが起きているんだろう。
 お互いに認識できない、パラレルワールドの住人のようなものだと思う。
 同じ時を過ごす者同士、あまり干渉しないように生活したいですね、と私は思っています。
 
「外黒さんが本を読むところ、全然想像できないですね」
 と、言われた。私はショックを受けた。がびびーん、がびびびーん、とショックを受けた。
 と同時に、それもそうだなあと思った。私はたぶん、本を読みそうなキャラクターではない。本を読みそうな見た目もしていないし、そういう言動もしていないと思う。
 でも、見るからに図書委員風の外見になりたいかというと、まっぴらごめんです。
 知的な言葉ばかりで話したいかというと、それも願い下げです。
 そういう、イメージとか先入観とか偏見とかから、とても離れた場所で存在していたいので、自分を何か特定の固定されたキャラクターとしてしまいたくないので、本を読むところ、全然想像できないままでいいです、と私は思いました。
 しかしながら、それでも、本を全然読まなそうという感想は、それでもしかし、なんだかショックではありますね。
 
 友人と滝行に行く予定を立てたのだが、もう寒くなっちゃったので、代わりに座禅をしようということになり、都内の某寺で開催された、座禅体験というのに行ってきた。もう寒くなっちゃったので、という辺りに、そこはかとない不信心さを漂わせていた。
 座禅体験、500円。500円かあ、と思った。どういう心づもりで500円になったのか気になる。
 私と友人は座禅体験をさせる寺を探して町を歩き回ったけれど寺が全然みつからず5分遅刻して裏道の隠れ寺に到着し入口の戸を開けるともう会が始まっていて、住職だか和尚さんだかにめちゃくちゃ睨まれてどえらい空気になった。和尚は明らかに気分を害しており「早く座りなさい。あっ、お金は前の方に置いてね」と冷たく言い放った。というか普通に和尚、怒ってんじゃん……と思った。えっ、禅の心は!? 常にクールで一糸乱れぬ心の均衡を保ち解脱した上人的なものではないのか!? と思った。そうではないのだ。怒る時は怒るのだ。座禅体験に来ていた人々も気まずそうにしていて申し訳ない気持ちになった。でもまあいいか、と思った。
 集まった人々は種々様々で、作務衣のようなものを着たその道の人らしき人もいたし、タイツにショートパンツの女子大生みたいなグループもいたし、ワイシャツにスラックスのビジネスマン風の男や、坊主頭にメガネの書生風の男もいたし、読書をしなそうな私もいた。一定間隔で置かれた座布団に座り、和尚のありがたい訓話を聞いたりした。それから座禅のやり方に移った。足を組み、呼吸を数え、目は半目で虚空に置き、姿勢を正す。鈴の音がひとつ、こーーんと響く。そしてすぐ近くの家屋から「お母さんごはんは!」と聞こえてきた「出してあるわよ」とお母さんが答えた。たぶん寺の家族の会話なのだけれど、めちゃくちゃ聞こえてくる。「俺は昼にでかけてくるからよ」みたいな男の人の声とかしてくる。座禅会場が静かなので余計にそういう音が際立つのだが、私は座禅により感覚を研ぎ澄まし、心を無感覚にしているので気にならない。気にならないが隣で座禅をしている男の人が唾を飲む音が「ごっくん!」とすごいうるさい。別にいいけどそんなに生唾を飲み込むなよ緊張してんのか? と思う。すると別サイドの男の人も生唾が「ごっくん!」とうるさい。しかもその人は半分寝ているのか前後に激しく揺れ出した。気にならない、全然気にならない! まったく気にならない! 「そろそろ車変えないとなあ」和尚の車が古くなってきている! 気にならないけどね!
 えっ、よく考えてみたらあの女子大生風の人、座禅するのにストッキングで来たの!? なぜ!? 10分が経過し、再び鈴がこーーんと鳴った。
 座禅は終了したのだ。
「どうですか、寺は、静かですな」と和尚は言った。

 

 うっせえわ!!!!!!!!!
 

 帰宅する時、友人に「どうだった」と聴いてみた。
「エロ座禅だったね」と友人は言った。
 友人の前にはあのタイツ女子大生が座っていたのだった。
 それでも我々は「禅っていいね」と言い合って、帰り道で小さい禅をみつけながら歩いたのだ。

 個人的には座禅会はゲートウェイ宗教の感じがあった。ハマる人はそこから本格的に宗教していくのだろう。私は作られた宗教観みたいな雰囲気が、あまり好きになれなかった。