フタホシテントウ殺虫事件

 ミステリーだ。
 フタホシテントウの死骸が部屋の真ん中に忽然と姿を現した。
「うそ……うそよだって……そんなはずないッ!!」と私は思った。
 2月1日、フタホシテントウは天井の隅にくっついていた。ちょうどPCの真上にあたる位置だ。くっついたままもう何日も微動だにしないフタホシテントウのことが気になって仕方なかったので、私はその姿を何度も確認している。おそらく2月1日の時点でフタホシテントウは死亡していたはずだ。天井にくっついていたのは、爪か何かが壁の凹凸にひっかかっていただけのことで、自分の意思でしがみついていたわけではなかったと思う。そうでなければおかしい。もう何週間も定位置から動いておらず、何も食べていないはずなのだから。「彼はあそこで即身仏になったのだ」と私は考えていた。
 2月2日、フタホシテントウが姿を消した。
 あれっ、いない? どこに消えたんだ? と慌てた。たぶんエアコンの風か何かで、ひっかかっていた爪が外れ、フタホシテントウは自由落下したのだろうと予想された。しかし、私は彼の死体を確認したりはしなかった。彼の落下予想地点には大きな白い幕がかかっており(屋根裏映画館用の手作りスクリーンだ)、幕の裏を確認するのが面倒だったからだ。まあ半年くらい経ったら干からびたのが出てくるでしょう、本棚のある家だったら虫の一匹くらい部屋に死んでらぁ、と私はずぼらに高を括っていた。何はともあれ、彼は私の前からはっきりと姿を消した。それはよいことのように思われた。いつまでも「死亡している可能性が高い何か」が視界に入っているのはよくないことだ。
 2月3日、フタホシテントウのことなど忘れていた。休日だったので、ほとんど一日中部屋にこもり、何気ない生活を送っていた。
 2月4日、部屋の真ん中に何か落ちていた。最初は丸まった糸くずかと思った。拾い上げようと手を伸ばした段階で光の反射が妙にキチン質だと気がついた。糸じゃない。手でつかんではいけない。前のめりになりよく見ると、虫だ。丸みを帯びた、小さな虫。ティッシュでやさしくつかみ、体を回転させてみると、真っ黒な羽に、赤い真円がふたつ。
 フタホシテントウだった。ぞっとした。手が震えた。
「うそ……うそよだって……そんなはずないッ!!」と私は思った。
 彼が姿を消したのは2月2日。落下地点は壁と布スクリーンの隙間のはず。2月3日は休日でずっと家にいて何度も部屋を歩いているし、私は一日に12回ほどコロコロ(粘着テープローラー)で部屋の床を掃除する習性があるため、床に落ちているものが私の監視を逃れられるはずがない。何かあれば、必ず目撃しているはずだ。それが、なぜ2月4日になって部屋のど真ん中に彼がいるのか。2月2日の段階ですぐ部屋の真ん中に現れたのなら納得できる。落下して、まあエアコンの風(それ以外に私の部屋には彼の死体を移動させそうな要素はひとつもないのだ)が運んだのだろう、とは思う。考えにくいが、可能性は0ではない。しかし2月2日は姿を消しただけだったし、もし2月3日から部屋の真ん中にいたのだとしたら、おそらく彼は私に踏み潰されていたか、コロコロの時に必ず気がついたはずなのだ。2月3日は絶対にいなかったと断言できる。
 2月4日、彼はうつくしいテントウムシの姿を保ったまま、部屋の真ん中にいた。あらゆる角度から推理してみたけれど、彼が移動した方法はたったひとつしかない。
 彼は、自分の足で歩いたのだ。
 
 それが最も単純な推理だ。オッカムの剃刀だ。
 2月2日、彼はまだ生きていた。おそらく瀕死だったのだろうが、何週間もくっついていた天井から歩いた。あるいは単に落下しただけかもしれないが、その時点ではまだ死んでいなかった。彼は壁とスクリーンの狭間に入り込み、しばらく迷い子になってさまよったか、あるいは昏倒していた。
 2月3日、彼は移動を開始した。スクリーン下の機材やケーブルの隙間をうろちょろしていたのかもしれない。あるいはそこらで寝ていたのかもしれない。私もスクリーンの下やケーブルの海になっているところは掃除をしなかった。
 2月4日、彼は自分の足で暗闇を抜け、そして部屋の真ん中まで歩き、死んだ。
 いきていたのか。おまえは。
 もっと早い段階で、私は彼を助けることができたのかもしれない。どこから入ってきたのか知らないが、みつけた時に捕獲してそのまま窓から放り出してやればよかったのかもしれない。フタホシテントウを殺虫したのは、私だ。私はこの罪を一生背負って生きていかねばならない。
 それにしてもフタホシテントウは、一体なぜ部屋の真ん中まで歩いたのだろう。
 考えているうちに、わかってきた。
 彼がくっついていた天井のちょうど反対側の壁に、私がよく電子煙草を吸っている窓がある。窓からは風が入って来るし、もちろん強い光も差してくる。彼は最後の力を振り絞って、部屋を横断し、あの光に向かって歩いたのかもしれない。自分の力で部屋を出ていこうとしていたのかもしれない。
 私はこの痛ましい事件を解き明かし、心がかき乱されるような事実を発見したわけであるが、おそらく明日には忘れる。
 あと、なんとか自分で感動しようと思いながら書いたが、まったく感動しなかった。