「外黒さん、今日はこれからどうするんですか」
「家に帰って、風呂に入って、本読んで寝るだけだよ」
「ああ、どんな本読んでるんですか」
「アーシュラ・K・ル=グウィンのいまファンタジーにできること」
「え?」
「アーシュラ・K・ル=グウィンの、いまファンタジーにできること」
後輩さんは戸惑ったような笑みを浮かべ、
「外黒さんて、そういう本も読むんですね!」と言った。
あまり時間がなかったので「ふふふ、まあね」と返事をして、私は家に帰った。
電車に乗って帰っている間、
“そういう本”って、どういう意味だろうと思った。
後輩さんは『いまファンタジーにできること』を、おそらく読んだことがないと思う。
読んだことのない本のタイトルから、後輩さんは、どんな内容を想像したんだろう?
そのことを想像するとだんだん面白くなってきてホホホーッ! と高笑いしたくなってきた。
そういう本か、もっと想像のディテールを聞いておくべきだった。
『いまファンタジーにできること』は、もちろんファンタジーに関しての本ではあるけれど、こころがやわらかくなるようなにこにこした感じの内容ではなく、ル=グウィンの激怒から始まる。口調はとても丁寧だけれど、要するに彼女はひたすら真剣に「ファンタジーを貶めるな」と言っている。とても面白い本だ。
どういう本だったら、後輩さんを一言で納得させることが出来ただろうか。
おそらくたぶん、ラノベのタイトルを挙げるのが一番だったのだろうな。
後輩さんはアニメ・マンガ・ラノベに詳しい。ずいぶんとそういうジャンルの話をしてきたから、おそらく後輩さんは、私も同じようにそのジャンルのものしか摂取していないと思い込んでいたのではないだろうか。
2,3年もアニメやラノベについて話してきたのだから当然、そうなんじゃないか。
しかし今になって急に後輩さんが驚いたのは何故か。
後輩さんが私に「どういう本を読むのか」と尋ねたのが、今回がはじめてか、あるいは何年ぶりかだったからだ。
つまり後輩さんはまったく私に興味がなかったか、「後輩さんが聞きたい範囲の質問」しかしてこなかったから、私の答えもまた偏っていたか。
結局、自分の中にある知識の範囲と、相手が知っていそうな知識の範囲との重なりから外れた会話は、生まれないということなんだなと思う。
「どういう本を読んでるの?」と、私が後輩さんに聞いて、私を驚かすのはどういう本だろう。
わからない。
私が思いつくくらいの例ならむしろ驚かないので、それはきっと私がまったく知らない本なのだろう。
あまり権威的な本だと鼻につくので、ちょっと変な角度から攻めてほしい。
『スヌープ・ドッグのお料理教室』とかがいい。
そういう本読むんだ! いいね! って、私も誰かに言いたい。
そしていつか、そういう本の答え合わせをしよう。