私たちはTOKYOで揺れる

 ドレッドヘアの若者がゆうらり歩み寄り優先席に落下するように座った瞬間、弾みで頭がバウンドしてそのままうなだれ、ドンッと私のケツに後ろのケツが体当たりをかます。いっぺんに色々なことが起きたので私は5秒ほど仮死状態になった。なんだこの電車は、変な人しか乗っていないのか。とても安心した。
 ドレッドヘアの若者を仮にゆうやと呼ぼう。ゆうやは綺麗な顔をしていた。まるでアイドルのように頬が削げている。鼻も細い。しかしなんといっても肌が青白すぎる。しかも目の下に濃い目のクマがある。見るからにあるこほりっくパーティーイズオーバーの風情であった。これが若者のライフ・スタイルというものか、遠き日の幻影に思いを馳せかけるものの私とてはめを外すことは多々あるがゆえ遠き日の幻影と思しき蜃気楼は思ったより遠くはなくケツをドンッ、ケツがドンッ、凄まじい圧力で思考を遮るケツの猛攻、一体先ほどから何が起きているのかとゆっくりと振り向いてみるとメッシュキャップを被ってスカジャンを纏った小柄な女性が立ったままふらふらしており、そのふらつきが私のケツ・背中を傷つけてやまない。切れたナイフの小柄な女性、仮にかなこと呼ぼう。
 かなこは何故か通路の仮想センターライン(――立っている人がはみ出してはいけない中心線のことで、私が勝手に決めた。今決めた)を割ってこちら側の領土を堂々と侵犯している。一体どういう神経をしているのか。もしかしてゆうこは私が好きなのだろうか? だから近づいて来るのか。それならやぶさかではない。見ず知らずの者とて好かれて嫌だというほど器の小さな人間ではない私が外黒えいすけだ、名前だけでも覚えて帰ってください。ドンケツをひたすら食らっているうちにゆうやはすっかり前のめりになり広げた股の間に頭を突っ込むようなかっこうになってうなだれていたが、その前に立っていた若者が不意に奇妙な動きを見せ、というのも、ゆうやのドレッドヘアを右手でくしゃくしゃくしゃとこねくり回したのだった。ゆうやはすっかり参っているため人形のようにされるがままだったが、それをよいことにゆうやの頭をいじる男、これを仮にまさきと呼ぼう。まさきは撫でまわす。まさきはぺしぺし叩く。まさきは手でむんずと頭をつかむ、などやりたい放題だった。もしこれが昔話ならまさきの手は最終的に腐ってなくなってしまうところだが、これは昔話ではなく日記みたいなエッセイみたいなジャンル分けの不可能なそういうのだから、まさきは更にエスカレートして神をも恐れぬ所業に出た。ドレッドヘアの一束をつまみあげ、ぶんぶんと振り回したのだった。これにはさすがの外黒も仰天し腰を抜かしドンッ、とかなこに先制攻撃をしかけることとなった。かなこも黙ってはいない。ドンッ! と意思のこもったドンケツで応答してくる。これがいわゆる非言語コミュニケーションというものか。私にはわかる。かなこのドンケツは私への好意の現れであると――そこに言語がないということはこのような勘違いを多大に生み出すということだった。話せばわかるかもしれないが、話さないならドンケツがこの世のすべてだ。ところでゆうやの隣に座って最初からずっとスマーホをいじっている男、じゅんやについて言及する必要があるだろう。じゅんやは最初から最後までクールな表情を保っていたが、まさきがゆうやのドレッドを振り回した瞬間にちょっとにやっとしたこと、私はすかさず見ていた。じゅんやはすこし楽しかったのだ。
 まさきはゆうやに水を飲ませたあと、電車を先に降りていった。それから何駅か過ぎたがゆうやは降りず、台風の日のヤシの木くらい左右に揺れていた。ある駅で背中がふっと軽くなったように感じ振り返ると、かなこが口元を押さえてにやけながら電車を降りていくところだったのだが、そのすぐ横に姿勢の悪いがに股のなんか小汚いみすぼらしいジジイがいてしきりに何か話しかけており、かなこはそれを無視もせずに笑ってやり過ごそうとしている、というようなわけの分からない光景を目にした。かなこの知り合いのジジイだったのだろうか、それともかなこはあのジジイに絡まれていたのだろうか、あのジジイと私へのドンケツアティチュードには何か関係があったのだろうか、何も断言できなかったが、少なくとも私にドンケツを食らわす人はいなくなったし、ゆうやは青白いまま揺れていてドレッドをいじる者も去り、電車空間には束の間、ひどく静かなひとときがやって来る。
 私の降りる駅で電車が止まったのでスマホから顔を上げると、ゆうやの隣の隣に座っていた太ったメガネの男(ネームレス)が、小指を鼻穴に突っ込んでいた。目を疑った。彼は小指がほぼすべて埋まってしまうくらい深く、鼻穴に突っ込んでいた、口をハーフオープンさせ、焦点を結ばぬ視線を虚空に漂わせながら。電車の中はひどく静かだったが、そこに狂気がなかったわけではなかったのだ。ネームレスの男はひとりしずかに、どこまでも深遠な狂気に、孤独に沈んでいたのだ、まったく世界から切り離された静謐な、孤独な狂気に。なんだこの電車。