生活のサンプル

 世界の構成物のひとつとして、より良い世界のため、というよりも誰かの安心のために生のサンプルを示すことは有用かもしれない。
 それがどれほど些末でも。
 
 目覚め、暑さにうんざりする14時。カーテンの隙間の日差しの強度で不快が脳内で再生される。
 重い体を風呂に運ぶ。シャワーはやわらかい。体表の熱も流れればよいと思う。深部温度は高いまま生きている。犬の体温を思い出す。
 体を拭いて顔に化粧水を塗る。乾燥すると痛い。スーツに着替える暗い部屋。忘れ物を探すけれど忘れ物はなかった、もしくは忘れていた。ポケットにイヤホンと部屋の鍵と携帯電話が入っている。プロテインバーと半固形のカロリーメイトと野菜ジュースとビタミン剤がいつもの朝食だ。まるでディストピア飯。
 玄関前にちらかったままのガラクタを飛び越えて玄関のドアを開けると夏が向かってきた。密度の高いぬるい風、密度の高いセミの声、ひっくり返ってひからびた這いずるもの、排気ガス、自転車のブレーキ音がにわかに反響し、どこかで警官がきびきびとした笛の音を響かせていた。通勤路の途中、路地の奥から一瞬、つたないピアノの旋律が聞こえてくる。何かを思い出しそうになる。直射日光を避けるルートで駅へ向かう。中華料理屋の前を通ると油っぽい風が吹きつけた。大陸の風のレプリカ。
 駅のホームで汗をぬぐうハンカチ。
 電車の中は涼しくて幸福だ。しばらく目を閉じて揺れる音に耳を澄ませている。扇子が欲しい。
 電車を何度か乗り換えて会社へ向かう。1時間40分の通勤時間は着実に体力を奪っている。会社に着いた瞬間が一番疲れている。スーツから作業服に着替えて喫煙所で煙草を吸う。自分の仕事はもぐら叩きだと思う。多様なもぐらが顔を出す。もぐらの種類に合ったハンマーでそれを叩く。記録する。やっていることを単純化するならそれだけだ。煙草を消して執務室へ向かう。
 いつものように気が重い。無駄なことをしている実感。けれど毎日少しくらいは笑いがあって、それは救済だった。すこしでも職場を楽しくしようとする意思こそが重要であり、それを放棄した時に人間性の一部は死を迎える。
 仕事中は気が張っているし、眠い。体力が底をつく夜勤。明け方のしみったれた太陽の色が気分を落ち込ませる。目がごろごろして視力が極端に落ちる。吐き気もわずかにある。頭がぼうっとして意識のレベルが低下する。人間の体は眠るように出来ている。無理を続けて働くことにどんな意味があるのだろう。この道の行方なんてたかが知れているのに。人生は有限なのに、やりたくないことを続ける理由なんてない。いつでも辞職を決意する日々。
 明け方に退勤して炎天下を駅に向かう。帰り道だからといって気分が高揚することもなく、ただ何を食べようかとそのことばかり気にしている。渋谷駅で下車し朝からとんこつつけ麺の大盛りを食べた。麺が異色で細い平麵でそばに似ていた。となりに座った体の大きなピアスでロン毛の兄ちゃんはミニ扇風機の風を浴びながら、友人とパチンコの話をしていた。それはなんだか渋谷だった。
 帰宅するとズボンの足の部分が汗で気持ち悪い。すぐにシャワーを浴びてTシャツ一枚とボクサーパンツの軽装でベッドに寝転がりyoutubeにアクセスした段階で眠気がかなり強まる。夜勤は一睡もせず16時間ずっと集中を強いられていたのだから当然だった。それでもゲームをしようとパソコンでゲーㇺを起動し、ロード時間の間だけベッドによりかかって目を閉じようと思った。気が付くとゲームはとっくに起動を終え、制限時間を過ぎてキャラクターは死んでいた。眠すぎて何もできないということを納得するまで10分ほどかかる。決意して正式にベッドに寝転がって眠る。それから目覚めと睡眠とを10度ほど繰り返した。12時から翌日午後3時まで眠ったり起きたりを繰り返していた。夕食はスーパーでとろろそばとサラダと焼き鳥を三本買った。食事中に先輩から電話があった。先輩は事故で車を失ったらしい。半導体の不足により新車が売ってないと嘆いていた。今度飲みに行こうよ、スケジュール送って、と言われる。はい、と返事をしたまま電話を切ってまた寝ていた。激しい睡魔があらゆる行動を制限している。Vtuberを中途半端に見ながら絵を描いた。絵を描くのは楽しいけれどわからないことだらけだった。そしてわからないことはわからないままでいいと思った。これからまた眠る。
 そういえば途切れた睡眠の間に夢をひとつ見た。デパートの三階から上り棒を滑り降りる姉の夢だ。姉は途中で腕の力がなくなって飛び降りた。あっ、危ない! と思ったけれど、姉はきちんと着地した。続いて私が上り棒を滑り降りることになったけれど、途中で腕の力がなくなって飛び降りることになった。着地はうまくいった。
 夢だったか現実だったか覚えていないけれど、私は世界について考えていた。世界にはなんでもある。無数のものがある。世界人口は79億人。世界の蟻の数は一京匹と言われているそうだ。人と蟻でさえそんな数があるのだから、世界中(もちろんあらゆる宇宙を含む、この観測可能な世界のことだ)のものの数を数えることは不可能で、でもそんな不可能性の中で私は世界の構成物のひとつとしてふんわりと生きていた。そして、だから自分以外の存在がどのように存在しているかということを、私は知りたいように思った。完成度(再現性)がパーフェクトの世界で、あらゆるものは、一体どんな風に存在しているのだろう? これはそのひとつのサンプルだった。