ジャムセッション

 暑い圧倒的に暑い。暑くて外に出た途端汗が滝のように流れ体重が2キロ痩せてしまう熱中症にもなってしまう。肌もウェルダンに焼ける虫も死んでしまう。
 今年の夏は何故かそういった暑さを体が希求している気配があり外に出ることに対して挑戦的でした。それは例年になくアグレッシブ夏を想起いたしました。それはそうとして暑さは第三者的に暑い。これがテラか。火星の平均温度は-70℃だから、火星人が地球に遊びにきたら「これは無理。火星に帰る」って言うんだろうな。
 傍聴かjazzか、どちらかへ行こうと思い昼過ぎにヌーンッと目覚めサァーッと風呂に入り着替えて猛暑に飛び出した。知能指数が下がっている。たしか暑さって本当に思考を奪うのだよな。寒さはすぐさま死に直結するので脳が冴える、みたいなことをどこかで聞いたことがある気がする。寒さはミトコンドリアも活発にする。暑さは? 暑さはレゲエ、ボブ・マーリーが歌っているよ。
 玄関ドアを開けるとアサヒスーパードゥラァイっていうあの渋い声が脳裏で木霊した。弾ける水滴のスプラッシュ。企業の宣伝活動が刷り込まれた資本主義的妄想。ぼくは暑さによってビールを喚起し、それを所望する。それも文化的生活史ということなのか。操作されているにせよ不自然でもないかもしれない。みかんは冬のたべもの、すいかは夏のたべもの。それは企業の印象操作ではなく自然のシステムだ。もしかしたら夏はビールの法則だって自然にもあったのかもしれないぜ。同志よ、あらゆる角度から観察せよ。
 もう日差しの描写をしたくないので木の影が絵具で塗ったみたいに濃かった。中華料理屋の換気扇から噴き出してくる空気みたいな質量のある風が頬を撫でる、香る獣臭は死んだ生のフラグメント。電車に逃げ込んでしばらく待って新宿にドンッて着いた。よくわからないけど暑いと一人称がよりフランクになっていく。新宿は都会の熱を充分に吸収している。オーブンの中の鉄板みたいに熱を放射し続ける。jazzの開演まで時間があり路地裏の暗い影をずるずると這い回るモンスターがぼくだ。のっぺりした壁に囲まれた狭い路地に人影はなく、まるで写実主義的な虚無が広がっている。光と影。忘れられた道。影しかない男。
 jazz! jazzも落語と同様にぼくより年上の人達の文化で、若者は少数。SFみたいに後進を育てないと廃れてしまうのではないか、とは思うものの最近ちょっとSF盛り上がってきていないか? 中国SFの隆盛もマーケットに影響を及ぼしたのかもしれない。なんでもネットの時代であるからSFは新たなるステージに向かっている。
 路地から見えるライブハウスのネオン看板。くぐって狭い階段を下りていくとオレンジ色の照明の短い廊下。木製ドアの前に木製の立て看板がOPENを知らせている。ドアの向こうには、茶髪で白Tの男性がかがんで電話をかけていて通れない。しばし地蔵となっているうちに奥からいかにも気のききそうな女性のスタッフが現れ案内していただく。ライブハウスに入った瞬間の耳が詰まったようなあの感じが懐かしい。防音の空間は反響が殺されており音の聴こえ方がまるで違う静寂が深い。ドリンクはいつものジントニックで、これもいかにも夏だった。キャパシティーは100人くらいなんだろうか。狭い老舗の箱である。小さなテーブルとイスが並んでいるところはロックの箱とは違って落ち着きがある。ぼくは適当な席についてジントニックをごっくごっくまるで情緒もなく飲み干して無人のステージをぼんやり眺めていた。今日はいつものライブとは違いジャムセッションというのをやるらしい。これはつまりよく知らない者同士が突然組まされて一曲やらされるという地獄みたいな企画なのだが、jazzってインプロヴィゼーションが特徴じゃん? だから企画に参加するってことは腕に覚えがあるってことじゃん? という前提があるみたいだった。最初に進行役のピアノの達人の方のトリオが美しい曲を一曲やってジャムセッションに入る。最初にピアノに指定されたのはもしかしたら10代なんじゃないかというほどに若い眼鏡の若い男性で、とても緊張しているのがありありとわかった。声があまりに小さく、進行役のおじさんに「そんなに声小さくてステージに上がれるの?」と冷たくされていた。それから眼鏡の方はステージに上がりリズム隊に頭を下げてよろしくお願いしますと挨拶をして回るもベース・ドラムのおじさん達も「はい、よろしく」と冷たい。なんだこのアウェイ感。やさしくしてあげろよ。余計に緊張が増してピアノでミスったらどうするんだ、トラウマになったらどうするんだ! とぼくは勝手にはらはらしていたのだが、いざ演奏が始まってみると10代と思しき眼鏡の弱弱しい男性はジャズマンになった。体を揺らして腕を突っ張ってリズムに乗って、ジャズマンになった。音が自信が無さげですごく上手いわけでもないし進行でミスをしたのかドラムのおじさんに「好きにやっていいよ!」と声をかけられたりしていたけれどそれでもちゃんとjazzをしていた。すごいぞ、がんばっているぞ! とぼくは思った。お前がナンバーワンだ。ほかのおじさん共は出来ることをやっているだけだ。でも君はやったことがないことをやろうとしているんだ。それはすごいことなんだ。とぼくは勝手に盛り上がっていた。ぼくは勝手に盛り上がることにかけては天才だった。グラスを持ってバーカウンターに向かいジントニックをまた飲んだ。ほかの参加者の方は普通にうまいなあ~くらいにしか思わなかったが、最後の最後に80代くらいのおじいさんが現れ、単音でオーバーザレインボーを弾いた。はっきり言ってめちゃくちゃ下手な演奏だった。でもステージの上のその姿はこの上なくうつくしかったし、一番感動した。音楽って不思議だ。うまいとか下手とかじゃなくて、心に届くかどうかなんだ。
 ジャムセッションが終わったのでぼくはすぐにライブハウスを出た。
 ぼくは今回のライブで「勇気」とか「挑戦」とか、そんな気持ちを得たように思う。
 飛び込んでみること、それが重要なのだ。
 電車に乗って、次はどこへ行こうか考えている。
 ぼくが次に向かうのは、まだ行ったことがない場所。