隣人の謝罪

 隣人の家のドアに貼り紙がしてある。
 どうやらメモ用紙を引きちぎったものらしい。
 騒音になってしまい本当に申し訳ありません。迷惑をやめてください。
 そんな内容の、すこし怪しい日本語の、角ばった文字の、短い文章。
 僕はその紙をじっとみつめた。10秒はみつめた。何が書いてあるのか、よくわからなかったからだ。
 隣人は、まったく物音を立てない生活をしている。
 もう二年近くも同じ隣人のはずだから、それくらいは私にもわかる。
 聞こえる音と言えば、せいぜい玄関のドアの開け閉め程度で、たとえば不用意にものを落としてしまったりだとか、音楽を大音量で聞いてしまうだとか、笑い声が響いてくるだとか、そんな生活上の物音ですら聞こえてこない。まったくの無音を二年も続けている人なのだ。
 一体、隣人は何を謝っているのだろう。そして誰にどんな迷惑をかけられているのだろう。
 もしかして、僕か? 僕が隣人に何かしたのだろうか? 記憶を漁ってみるまでもなく、僕は迷惑な人間である。生まれてすみません。僕はたまにものを落とすし、音量は絞っているにせよ、夜型生活なので朝まで何らかの音楽をかけて生活をしている。jazzやrockやtechnoやクラシックや、好きな音楽は無限にある。youtubeで面白い場面があれば笑う。真夜中にゆでたまごを茹でてうまうまと食らうことさえ辞さない。時には踊っている。
 僕は隣人に何が起きたのかを聞いてみたい気がする。
 あなたの生活は静かですよ、と言ってあげたい。
 静謐ですよ。
 人生にはいろいろなことが起きる。
 様々な人間が、それぞれのやり方で生きている。
 僕は貼り紙をじっと見つめて、それから会社へ向かった。