最終電車

 本日も最終電車である。こうなってくるとはははではなくかかかである。笑いかたさえ妖怪じみる23時49分、浮世離れしているというか、人間離れしてくるというか、地に足のついてない全力を終え、人事を尽くして天命を待つ気分で酒臭い車両の壁に寄りかかり、壁しか見えない地下鉄の窓を眺め続ける。イヤホンから流れるのはオードリーの深夜ラジオ。若林さんが激怒したような声で「肛門!!」と叫んでいる。和む。毎週欠かさず聞いてはいるが、毎週欠かさずオードリーは面白いことを言う。すごいというか尊敬というか、エンタメが仕事だからといって楽しいことばかりではないに違いないって想像できるくらいには大人だけど、何をどうしたらいつも笑っていられるのか、いつも楽しい事を考えていられるのか、他者を笑わせようとすることができるというのか。それが仕事だから、では片付けられない何かがないと絶対に続けられない事だよなあ、ぼくにはそういうのあるかなあと考えているおじさん! もうそういうのを探すような年齢はとっくに過ぎて、ただ朽ちていくだけのおじさん! 肛門! 自虐も和む。心が落ち着いてくる。電車のドアが開き石の道を歩き再び電車に乗る。また暗い隧道ばかり潜り抜ける電車の窓から見える暗闇の速度を測っている。眠気。意識の浅い思考。空腹とレッドブルの興奮。明日は月曜日だというのに顔を真っ赤にした大学生の集団がやはりかかかと笑いながら手を振ったりのけぞったりしている。大学生だからこそなのかもしれぬ。ぼくはそれを全然否定しない。たるもの! 大学生たるもの、あすのことはあすの自分に任せるくらいの無軌道でなければならないのではないのか! 勉強をしてもいいし刹那、遊び呆けて留年とかをしてもいいし人生、それぞれみんなばらばらだからぼくではない誰かをオモロだと思えるわけだし、オモカスだとも思えるわけだし、何はともあれ悶々しているより楽しい面白いの心臓をがっしり掴んでいる瞬間を忘れてはならぬ。楽しい面白いさえ失われればもう生きていることさえ忘却するであろう。などと目の下に深いくまの出来た顔を窓の反射に見ながらそっとほほえんでいるおじさん! 躁だったんじゃないかと思うんだけど、ぼくは教習所に通いながら歯医者にも通っていて、スケジューリングが爆発していたのだが、アクセルを全開にしてるけどクラッチは切れたままという感じで、ものすごいトルクが体の中で激しい震動を生んでいたのだが全然前に進んでなくて、そういう時間も必要だったのかもしれない。空回ってるだけのエネルギーってエネルギーがあるだけ全然マシかもしれない。左の奥歯の銀歯が取れて、セルフでハメ直して何ヶ月か過ごしたら銀歯の中が虫歯になっていて新しい銀歯を作ってもらった。そのあとに右の奥歯の銀歯がいつの間にかなくなっていたので(いつの間にかなくなっている銀歯の存在価値については疑問でしかないけど)新しい銀歯を作ってもらったので、ぼくはいま歯医者に行く必要がない完璧な状態になっており、だから色々なものを食べられるというのはすごくありがたいことだとか、そういう基礎的なことも感じている。歯医者に行くといつもそう感じる。神に感謝している。子供の頃から無限に歯医者に通っていたので怖くはないけど、ぼくは顎関節症なので、大きな口を開けるたびに顎が外れるのが歯の治療よりずっと苦痛で、でもそれは歯医者の関知するところではないから、開けてください、閉じてください、と言われるたびにこめかみがバキッ! バキッ! てせんべいを割ったような音してた。歯医者で一番の痛みはそれです。などと考えながら空いた席に座り、この文章を認めているのだが、隣に座った女性の首が台風の中のリンゴみたいにぐわんぐわんしていて携帯を何度も落とすし、なんだか恐ろしくもありファニーでもあり、やはりこの人も酔っ払っている。最終電車に酔っ払いが乗らない日はないんだろう。仕事を終えたぼくは書くことで気持ちをどうにか切り替え、そしてようやく明日は休日で、電車が止まり開いたドアからホームへ降り立つと、そこはぼくの家のある街ではない。スケジュールに次ぐスケジュール。爆発。不安さえ置き去りにする加速。加速することで安定する乗り物がある。ぼくもそうなのではないかと思う。ぼくは最終電車で、帰宅しない。