コーヒー線路

「紙、も吸うんですね」
 と喫茶店のマスターは言った。
 理解に二秒かかった。
「ええ、へへ、まあ」
 とぼくは答えた。
「時々、紙が吸いたくなりますね」
 とぼくは言った。
「私もなんですよ」
 とマスターは言った。
 ぼくはコーヒーを飲むと体調が悪くなるのであまり飲まないのだけれど、この喫茶店ではコーヒーをブラックで飲む人というイメージが定着してしまった。
 最初の頃はミルクをもらっていたのだが、最近はマスターもミルク要りますかと問うてすら来なくなった。
 よしとしている。
 コーヒーがおいしい。いつも泡立っているコーヒーで、酸味も苦みもほとんどない、さらさらしている。
 いつ行っても『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を流している。そして喫茶店を出る頃には、具合が悪くなっていて面白い。


 久々にunrailedをやっている。
 寝る前に一、二時間程度やっている。
 相変わらずいつやっても面白い。非言語的即物的コミュニケーションの具体化。ことばを使わなくても「誰が何をやりたいか」がはっきりと伝わることがある。そこには個人の行動のコードみたいなものがあって、それは説明されずとも、ある種の作業を通して他人に伝わる。個性といってもいい。
 線路を引くのにこだわりがある人達がいる。ぼくは勝手に線路士と呼んでいる。リーダー気質で目標に向かって突き進む意思の強さを感じさせる人達だ。他人が敷いた線路もばりばり修正する。チームに線路士がいない時、ぼくはそのロールをするけれど、もし線路士がいる時は収集家になる。
 収集家は木を切って石を掘って線路を作成し、線路士に渡す。割とのんびりしたチルゲーマーがこのロールには多いように思う。しかしゲームが進んでくると収集家もゴールの位置やチームの動きを把握しながら道を切り拓く役割もしなければならなくなる。そこで収集家のロールは微妙に変化する。その変化を理解している人は、すぐに線路士と同等の重要さを帯びるようになる。状況はめまぐるしく変化する。何の打ち合わせもなく、即席のチームがうまく機能してきたときの独特の気持ちよさは、なんとなく日本人的情緒だとぼくは思う。一体感が生まれる。どうすれば線路士が動きやすくなるか、資材をどこに集めるか、どういう軌道を選択するか、他者がスムーズに仕事をするためにどんな工夫をするか、それぞれのプレイヤーが考えながらゲームは進んでいく。みんなが自分の好きなことばかりやりはじめると、線路は途切れ列車は爆発する。上手いプレイヤーばかり集まると、最終的に全員が全部のロールを状況に合わせて実行するようになる。他人のやりたいことがわかるし、ぼくがやりたいことを他人もわかってくれる。魚群がまるでひとつの大きな生き物のように振舞うように、全体がひとつの個になる。スポーツでもきっと同じことが起きるんだろう。それから、これは想像でしかないけれど、マックのクルーもきっと同じような感覚になることがあるのではないだろうか。訓練されたマックの厨房の動きは、なんだかわくわくする。
 ゲームが進んでくると必ずダイナマイトを使いたがる人たちが現れて、結局は爆破プレイになっていくのが定石だけど、爆破専門のプレイヤーの我の強さみたいな部分も、ぼくは結構好きだ。