目に残る光の跡

 喫煙所は青黒い朝で、大寒波と言われている日に左手はポケットに入れ、右手を出していると冷たく、固く痛くなり、ただ手を出しているだけでしもやけみたいになったマイナス5℃だった。
「うわーすごーい、ねえ何見る?」「傷害致死とかあるよ」と女子高生の社会科見学のような方々が、テンション高めに裁判所の傍聴を選んでいる。魔女を火刑にした時も、やはり同じような人たちがいたのだろうなとぼくは思う。倫理的にどうのこうのと思うことはなきにしもあらずだけれど、他人の人生の話なんてエンタメなのだろうなとシンプルに考える。人間の機能。
 平野レミさんがステージで神妙にしていた。本物をはじめて見た。まじめなイベントだったからか、平野さんはとても静かだったし、ぼくが見た時には動くこともなかった。混沌はなかった。人間は、ある瞬間にある種の特性を帯びる、というだけのことであり、人間に備わった普遍的な性向というものはあれど、それが個人の表面的な一貫した特性であるということではないのだなあと思った。
 池袋の線路の横のベンチに座って酒を飲んでいた。無人島のように晴れていたし暖かかった。背後の植え込みからのっそりと三毛猫が出てきた。三毛猫は人間のことなど興味が無いようだった。まっすぐに歩く先をみつめ、しゃなりしゃなりと音もなく歩いていた。ある人がしゃがみこみ、三毛猫の前に食べ物を置いた。三毛猫はすこし匂いを嗅いで、顔をそむけた。ある人は立ち去った。三毛猫は立ち去った。するとそこへ大きな烏が急降下してきて食べ物を瞬時にくわえて飛び去った。一筆書きみたいだと思った。自然界のシステムはうつくしかった。
“みんなでご飯を食べるとおいしいね”という言葉の意味がぼくは分かっていなくて、それは比喩だと思っていた。普通に考えるならひとりで食べた方が味に集中できるからおいしいのではないかと思っていた。会食はあるからマナーとして、みんなで食べるとおいしいというものだと理解しており、だからマナーとしてみんなで食べるとおいしいとぼくも言うことにしていた。しかしどうも本当にみんなで食べるとおいしいと思っている人がいるようだぞと気がつき始めた。ぼくは人間を後天的に学んだロボットみたいだと思った。だから今も人間のことをずっと調べているのではないかと思った。
 はてなブログ主催の純日記を本にするイベントにぼくの日記が載っていたらしい。ぼくはそれに応募したことを覚えていたし、当選したかどうかのメールを確認したことも覚えていたけれど、当選のメールは届いていなかったと思う。見落としただけかもしれないけれど、ぼくはすこし残念に思ったことを覚えていた。ぼくの日記がどこかで本になっていたらしい、と思うとうれしくもあったけれど外れた宝くじが2000円だった、みたいな気分にもなった。
 布団を蹴とばして携帯をひっつかみ時刻を確認しシャワーで頭に水をぶっかけて適当に寝癖を吹っ飛ばしジェラピケを体から引きはがしハンガーから服を取って着て鞄を肩にかけゴミ袋の口をしばって外に飛び出し階段を一段飛ばしで駆け下りて裏通りに出るとゴミ捨て場はきれいになっていて、しかしヘルメットに作業着のおじさんがぼくを見て近寄って来てくれたので「ごみ、まだ大丈夫ですか!」と声をかけると「そこに置いて」と言ってくれたのでごみを置いてそのまま早歩きで区役所に向かい受付票をとって椅子に座ったと思うやいなや番号を呼ばれ窓口に向かい係員のおじさんが口を開く前に「国保返却したいんですけど」と述べると一瞬で意図を汲み取ってくれ書類を渡され秒で書き込み5分で区役所を出て、憑き物が落ちたかのように町の中をうろつく、歩道に揚げパンの黒い包みが落ちていて、風が吹いた時に音を立てた。
 先輩から電話があって10分で切れる。
 真夜中にコインランドリーでスニーカーを洗った。スニーカーの洗濯機は大きな黄色いブラシが回転してスニーカーをがしがし洗う仕組みだった。椅子に座って本を読みながら、ブラシがスニーカーを洗い続ける音を聞いていると、不思議と幸福な気持ちになった。洗い終わったスニーカーを靴乾燥機に入れた。乾燥機の中でスニーカーは、今までに体験したことがないほど熱くなっている。そして乾いていく。熱く乾燥して軽くなっていく。