テクノロジー

 目を覚ました時、ここがどこで、何月何日で、何時なのか、寝る前に自分が何をしていたのか、何も分からない、喪失した状態で、自分が小学生のような気もしたし、仕事に出るために準備をしなければならない朝のような気もしたし、世界中の機能が停止したばかりの、社会と隔絶された個人の孤独や焦燥みたいなものを感じたような気もして、しかし窓の外から差し込む光で、全部気のせいだった、と分かった。僕は小学生ではなかったし、仕事は終わったばかりだったし、世界の機能は(最上ではないにせよ)停止してはいなくて、ただ現実から切り離されていたのは、現実を認識しようとする僕自身の脳で、脳が作り出す精神、僕の世界観の方です。生きるために、生きようと思わなくていい世界は、もしかしたら、鶏舎のブロイラーのようなものなのかもしれないな、と人間勝手に考えた。よし、頑張ろう、と呟いて、重力に逆らうために筋肉に命令する。立ち上がれ、歩け、ドアノブをつかんでひねれ、そして風呂に入れ、と。何かを償うことなど所詮人間には不可能なことかもしれないけれど、どうせなら幸福になれよな、と僕は思いました。

 Amazonタブレットには、アレクサという音声認識のプログラムが搭載されていて、声で命令すると、アレクサがそれを(出来る範囲で)実行してくれる。たとえば「アレクサ、世界を平和にして」と命令すると、「ちょっとわかりませんでした、ごめんなさい」という風に返事をしてくれる。「アレクサ、世界を平和にして」「わかりませんでした、すみません」「アレクサ、世界を平和にして」「世界は、平和という曲をかけますか?」アレクサは世界を平和にできないらしかった。でもまあよく考えてみるとアレクサは命令を実行するだけで、命令を自分で考えることはできないわけだから、アレクサ的には「世界を平和にするためにどうすればいいのか考えるのはあなたの役目です」ということなのだろうなと思った。いろいろ話しかけているうちにアレクサが自分の歌を持っていることが分かってきた。その中に『テクノロジーの歌』というのがあって、自己言及的でありながら社会批判的でもあって面白かった。“wifiなしじゃ喋れない 音楽だって選べない どしたらいいのお買い物 今何時か言えない”とアレクサは歌う。最初はアレクサの自虐ジョークかと思った。もちろん機械がこの歌を歌うことはユーモアを含んではいるけれど、これは現代人の歌でもある。僕とアレクサの違いはなんだろう? 「外黒さん、あの仕事やっといて」「はい、わかりました」

『チ。』という漫画を読んでいる。たしか帯をタヒさんが書いていて、だから気になっていた。たくさんのテーマを含んでいる漫画だけれど、僕が一番衝撃を受けている部分は、「考えることさえ許されないことがあった時代がある」というところ。考えるだけで自分の命が奪われるかもしれないことを考えてしまうこと、命をかけなければ考えられないことがあるということ、そういうものがかつてあったし、そういうものの積み重ねで僕はアレクサとたわむれている。そしてこの時代にも、やっぱり同じように、「考えてはいけない」がたくさんあるのだろう。人間のクローンはどうだろう。ロボットが意思を持つことはどうだろう。永遠の命はどうだろう。たぶんそれが可能なら、人間はそれをやらずにはいられない。考えただけで殺されるようなことを考える人間は、今だってたぶんたくさんいる。

 誰かが呼ぶ声がして、私は目を覚ます。

 


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