睡眠

「今日でいいの?」と先輩からメッセージが届く。16時間の労働で僕の頭は思考能力を失っている。体力も気力も底をついている。一度、夜勤明けの体で散歩を試したことがあるけれど、歩きながら意識が飛んだことは強く印象に残っていた。立ち仕事をしていた頃は、立ちながら意識を失ったこともある。立っている時に眠りに落ちると、どういう感覚になるか、知っている人は少ないのではないだろうか。よい気持ちではないので、知っている人が少なければいいなと思う。それは文字通り「落ちる」感覚だった。眠ると瞬間的に全身の力が抜けて膝が折れるため、糸が切れた操り人形みたいに、物理的にその場に崩れ落ちそうになる。前や後ろにゆっくりばたんと倒れるわけではなく、直下にぐしゃりと潰れそうになる。まるで足元に突然穴が空いたかのように、眠りに落ちる。落下感は本能的な恐怖を喚起するので、落ちた瞬間に酷く驚くことになり、目覚める。そうしてなんとか踏みとどまって、大抵はことなきを得る。しかし歩いている最中に朦朧としていたら、いつか車に轢かれて死ぬことになるのだろうと感じたから、夜勤明けはなるべく早く眠ることにしている。
「今日にしましょう」と僕は返事を送った。それから風呂に入り歯磨きをして、正午の光を避けるためにアイマスクをしてアラームをセットして布団に入る。約束を交わし、その返事を待つこともせず、まず眠らなければならない。どんなことをするにせよ、眠気があるうちに眠っておかなければならない。僕はわずかに不自由を感じる。

 目覚めると、18時だった。
 スマホを見ると先輩からメッセ―ジが届いていた。集合時間を知らせるメッセージだった。
「18時に会社上がります」
 全然間に合わない。まったく間に合わない。眠っている間にも世界はぐるぐる回っている。絶対に間に合わない集合時間がリクエストされるとき、僕は僕の主観以外の時間の存在に思いを馳せる。
 急いで向かいます、と返事をして風呂に入って服を着替えて家を出る。電車に乗る。集合場所に着く頃には19時を超えていた。先輩は駅のホームで待っているらしかった。どれだけ急ごうと思っても、電車は一定の速度以上に加速したりはしなかった。ただすこしずつ着実に、正確に電車は進んでいった。