余白の休日

 めずらしく二連休だった。時間に余裕がある。何をしようか、ずっと考えていた。

 スーパー銭湯に行こうと計画を立てた。電車で40分ほどの場所にリーズナブルで広々として、漫画が何千冊も置いてあるというスーパー銭湯があることは、既に調べてあった。きっと広い露天風呂は、くつろげるのだろう。それからたぶん地下から湧いてくる温泉は、体にもよいのだろう。食堂で、ラーメンを食べたりするのだろう。想像の中のスーパー銭湯は微妙に寂れていて、空間的にも時間的にも余白が多かった。従業員達は暇を持て余しカウンターの奥に引っ込んでぼうっとしていた。それからもちろん客達も、暇を持て余し座敷の上に横になってぼうっとしていた。そして僕は、そういう場所に行きたいと思っている、と思った。充実した空白みたいなものに頭から飛び込みたい。

 しかしながら人生というものは、いつも計画通りにはならないものだった。空白にはいつも余計な落書きや、いつ書いたのかもわからない意味不明のメモが書き込まれている。消火器が置かれ、足の欠けた古いテーブルが置かれる。草が生え、花が咲いて、枯れる。空白を維持するのはとても難しい。

 金曜日は最終電車で帰宅することが出来た。夜勤明けだったし、酒を飲んで帰ったために、いつもより挑戦的な気分になっていた。誰とでも匿名でチャットできるサービスに接続して、何かを話そうと思った。その場所は、僕には吹き溜まりのような場所に感じられた。様々な人間の声と、沈黙とが凝縮された場所。悪意と恐れと退屈と好奇心と寂しさと小さじ二杯分くらいの善意で出来た場所。
 相手のことを何も知らない、という状態から始まり、何も知らないという状態で終わっていく会話を何回か続けているうちに、つまらなくなってきた。僕は名前を「神」に変え、プロフィール画像を神様の写真に変えた。新規チャットのボタンを押すと、いつもの無名氏が現れ、開口一番に「神さまだ!」と言った。僕はしばらく神様になった。無名氏は僕に「4兆円ください」と言った。僕は無名氏に「では4兆円のお布施をください」と言った。1時間ほど全く意味のない会話をした。無名氏は最後に「めちゃくちゃ楽しかったです。ありがとう神様」と言った。僕は嬉しくなったので、「アーメン」と書き込んで接続を切った。時計を見ると日付は変わっていて、土曜日の午前5時だった。もう窓の外は青く光り始めていた。

 土曜日の正午まで眠り、スーパー銭湯に行こうと考えた。スーパー銭湯に行こう、と考えながらチャック・パラニュークの『サバイバー』を読んだ。それからスーパー銭湯に行こう、と考えながら戌神ころねの『エペクス』を見たりした。僕はスーパー銭湯に行こう、と考えながら浅い眠りを繰り返した。そしてスーパー銭湯に行こう、と考えながら夕暮れの街を歩き、近所のラーメン屋でチャーシュー麺を食べた。ラーメン屋の天井付近に置いてあるテレビには野球中継が流れていた。客は僕のほかに一人だけで、彼はものを食べる音がまったくの無音だった。あまりにも静かだった。帰宅してベッドに寝転がった。「もうスーパー銭湯には行けない」と考えた。先輩からlineでメッセージが届いた。「昨日は面白かったね。またやろう」という内容だった。「是非またやりたいです!」と返答した。それから友人のグループに15件のメッセージがあることを確認したけれど内容は見なかった。空白が空からまったくの無音で降ってくればいいのにな、と思った。ちりひとつない空白が落ちてきて世界をすっぽり包む。「神さまはなんの神様なんですか」と無名氏は言った。「え? 人の子は難しいこと言うよな」と僕は返答した。

 日曜日の午前5時まで戌神ころねの『Ghostwire: Tokyo(ゴーストワイヤー トーキョー)やるぞおおおお!』を見ていた。それからT・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』を拾い読みした。時々は短い眠りを繰り返した。それから僕は、実に様々なものを食べた。ミックス・ナッツ、ゆでたまごカップ焼きそば、乳酸菌飲料、牛乳、アクエリアス、ビタミン剤、野菜ジュース、食パン、紅茶。窓の外が青色に光り始めた。僕は朝焼けが苦手だった。朝焼けを見ると心がくじけそうになった。でも夕暮れは好きだった。夕暮れはフィクションの色をしていた。正午まで眠った。それから僕は、スーパー銭湯に行こう、と考えた。そして本を読み始め、youtubeで動画を見た。スーパー銭湯に行こう、そこには空白があるはずだ、と僕は考えた。やすらぎや、くつろぎがあるはずだ。WEBページにもそんなようなことが書いてある、だからきっとそうなのだろう。暇を持て余した従業員、それから退屈を持て余した客達、何千冊もの日に焼けたマンガ本、とめどなく循環を続ける湯。余白、休日。「Uさん、会社辞める時、俺に挨拶しにきたんだよ」と先輩は言った。「はあ、そうすか」と僕は言った。「元気そうでしたか」と僕は尋ねた。「いや、あいつさ、精神安定剤飲んでるらしいよ」と先輩は言った。僕は頭を抱えたかった。でもそんな失礼なことはできなかった。精神安定剤を飲むということに対しては僕は何も思わない。それは手段でしかない。しかしUさんが迷い込んだ環境のことを考えると頭を抱えざるをえない。「神様は今まで聞いてきた相談の中で、一番面白かったのは何ですか?」と無名氏が問うた。「わからない」と僕は答えた。「神さまって何もしてくれないんだね」と無名氏が言った。「真理か?」と僕は答えた。それから聞いた。「もしかして、あんた神か?」時計を見ると午後七時だった。「もうスーパー銭湯には行けない」と僕は考えた。僕は南京事件について調べた。それからマックデリバリーが2人分のてりたまバーガーセットを運んできた。僕は2人分のてりたまバーガーセットを時間をかけて食べ終えた。そして電子レンジが届いた。電子レンジが届いてしまったらもうどうやってもその一日は空白ではいられない。空白や余白は努力や労力が生み出すものであって、それを維持するのはとても大変なことなのだと落書きや意味不明なメモの発生装置である僕は思う。