あの店で冷やし中華を食べているのは僕だけだと思う。
そもそも店内に「冷やし中華はじめました」なんて書いてない。
そんな親切な店じゃない。冷やし中華は、いつも貼ってある壁のメニューの端っこに、いつの間にかそっと増えている。高度な間違い探しで、だから常連であればあるほどその存在に気づかない。常連はメニューすら見ないからだ。でもぼくは去年、気が付いた。ぼくはあの店の常連で、週に3回は通っていて、間違い探しが嫌いではない。
夏になるとあの店で冷やし中華を食べる。けれどあの店で冷やし中華を注文している人に会ったことがない。
「チャーハン」
「ラーメン」
「餃子、あとビール」
「ニラレバ丼」
普段聞くのはそんな王道のオーダーばかり。もちろん、みんな食べたいものを食べればいいんだけれど、ぼくは季節に関係なく冷やし中華が食べたくなるので、「みんな、この店冷やし中華あるよ」と教えてあげたくなる。「気づいてないかもしれないけれど、壁の油まみれのメニューの中に、まったく同じ油まみれの季節限定が、そっと増えているんだよ。新メニューなのに油まみれなの。おもしろくない?」
でもきっとみんな冷やし中華なんて食べたくないんだろう。
若者は特に冷やし中華を食べたがらない傾向にあると思う。
そうだ。
若者は冷やし中華が嫌いなんだった。それを忘れていた。
ぼくもそういえば嫌いだった、冷やし中華。なんかすっぱいし、麺にきゅうりとか乗ってるし、別にうまくないな、と思っていた。
でもある時を境に、味覚がおおらかな成長を遂げ、なんか好きになった。
冷やし中華も悪くないな、と思えるようになった。
ぼくは年齢を重ね、あらたな味覚を獲得したということだ。
そしてその新しい感覚は、夏と結びついている。
だって冷やし中華は夏にしか食べられないものなのだからね。
だからぼくは夏になると冷やし中華を食べる。
それは新しい感覚の獲得への祝福のようなものなのかもしれない。
あの店で冷やし中華を食ってるのはぼくだけだと思う。
そろそろ夏も終わりだから、壁からメニューがそっと消えるだろう。
最初から、何もなかったかのように。
壁から冷やし中華が消えた時、ぼくはようやく夏が終わったことに気がつくだろう。
去りゆく時を惜しむように冷やし中華をすすっているのは、あの店でぼくだけ。