風に溶けるみたいに

 長年の雨や風によって頑強な岩が削られていき、やがて崩れる。強い衝撃じゃなくて雨や風に溶けるみたいにしてすり減っていく現象を、ぼくは故郷で感じている。母が暮らしている他人の家のリビングに座って、体がほとんど動かせなくなってしまったおじいさんと、痩せ細って背中がまがりしわばかりになってしまった母の生活空間に満ちる穏やかな空気は重く湿っていて、その上でひどく平和で、退屈で、なんの刺激もなく、イベントが終わってしまったダンジョンにいつまでも留まっているような、静かに朽ちるのを待っているだけのような、生理的な恐怖を感じさせる空間だった。前に進むことが発想できなくなる恐怖だ。希望を意識できなくなる恐怖だ。彼ら自身が平和に飽きており、何かをずっと待っている。何かが起きるのを。ぼくが訪ねて行くのを。

 歳を取ると体が弱りあちこち不具合が出てあらゆる欲求が低下しくよくよしやすくなる。仕方ない事だとは思うが、その空気をまとえば、ぼくも引きずられそうになる。深い悲しみは伝染する。深淵を覗きこむ時、深淵もまたぼくを覗いている。

 老母が運転する車の助手席で、母と暮らす人が酒の飲み過ぎで死にかけたこと、歩けなくなり、物も言えなくなり、食べられなくなり、入院していたことを聞いた。冬の明け方に物置き小屋で転び、棚と棚の隙間に挟まって動けなくなり死にかけたことも聞いた。持病のこと、家庭の不和のこと、精神的にも肉体的にも追い詰められていったこと。弁護士とのやりとり。母はその人の看病で10キロ以上も痩せ、内臓の調子が悪くなり半年ほど寝て過ごしていたそうだ。最近少しボケてきたという。聞いているだけで気が滅入ってくる話が無数に出てくる。人間の愚かさや醜さや弱さ。68年分の感情の層。

 母と本当の故郷へ行った。よく晴れていて風の強い日だった。今度はぼくが運転して、ぼくが26歳まで暮らした町に行った。灰色の町だ。誰も道を歩いていない、廃墟があちこちに建っていて色褪せて朽ちている。海風や雪が木造住宅を腐らす。濁った小さな川には、名産の小魚を獲るための小屋が建てられていて懐かしかった。親戚の家に挨拶に行くと叔父嫁が出てくれた。母と同じように歳をとっていた。叔父嫁の目は銀色に見えた。船の上で何十年も強い陽射しに晒されたから、目の色が薄くなったんだと思った。ぼくはちゃん付けで呼ばれた。それからいとこが現れて、10年ぶりくらいに顔を見た。彼女もまた中年になっていた。誰しもが雨と風に少しずつ削られていく。彼女もぼくをちゃん付けで呼んだ。ずいぶん大きくなって、と彼女は言った。大きくなったどころではなく、お互いおじさんとおばさんになっていた。それでもたぶん、ぼくの印象は、あの頃から変わっていないんだろう。それはきっと、ずっと変わらないんだろう。いとこ達はずっと町に留まっていた。それはどんな気持ちのするものだろう。ぼくにはもうわからなくなっていた。

 叔父に会いに浜の小屋を訪れた。暗い小屋には仕事道具が雑然と積まれていて昔と何一つ変わっていなかった。叔父は留守だったが、棚の上から目つきの悪い老猫が飛び降りてきて迎えてくれた。猫はぼくの足の近くを悠々と歩いて横切った。たぶん、ぼくが撫でるかどうかを試したんだろうと思う。ぼくは初対面の猫は撫でないことにしている。猫が慣れてきて甘えてきたら撫でる。浜の小屋の薪ストーブ、魚の匂い、光の入らない暗さ、潮の匂い、網、すべて懐かしい。

 母の車で田舎道をドライブした。特に話したいこともなかった。時々思い出したことを語り合った。昨晩は母の店で、母の友人という人たちにずいぶん飲まされた。とてもいい人達だったし、面白い人達だった。母に友人がいて良かったと思った。安心した。母の友人達は何度も母を助けてくれた。母は2人の恋のキューピッドになり、2人を結婚させた。2人は60歳を過ぎて結婚した。母は68歳で、ひとりでスナックを切り盛りしている。友人達はとてもいい人達だった。しかし不幸にも見舞われていた。犯罪だった。死体遺棄、窃盗、生活保護、施設。ぼくの故郷では、いつも死が隣にある。目が眩むような平和のとなりに、平和とは正反対のすべてが揃っている。ぼくはその異常性をいつも感じさせられる。

 ドライブを終え、一息ついてから母をパチンコに連れ出した。母はパチンコが好きだ。この田舎町にはパチンコ以外の庶民の娯楽が無いといっても過言ではないから、好きにならざるを得なかったろうとも思う。母はその事でぼくに詫びた。いつもパチンコに行ってあんたをほったらかして……と言った。子供のぼくは寂しかったが、大人のぼくは母の気持ちもよく分かっている。その時にはそうするしかなかったんだと思う。パチンコが母の気晴らしになっていたならそれはそれでいい。母は母なりに必死に生きてきたし、その一生懸命さは老年になっても変わっていない。母は2000円負けてぼくは1万円勝った。母に金を渡そうとすると強く断られた。

 帰宅すると母に電話が来た。母の友人が亡くなったという電話だった。母は泣かなかったが、とてもショックを受けた。ぼくも小さい頃から世話になった人だった。打ちのめされそうになる。母は68歳でがりがりに痩せて背中が曲がり皺くちゃでスナックを1人で経営していてお客はほとんどなく家に帰れば体の悪い人の世話をして小さい菜園の世話をして冬になれば毎日何時間も雪かきをして洗濯をして食事を作りスーパーに買い物に行き掃除をして道に迷い過去を思い出して泣きすこしボケてきたと気に病みパチンコで2000円負け、友人が亡くなっていく。打ちのめされそうになる。あまりにも、辛すぎる。夢も希望もない。とてもこわい。これがぼくの故郷。ぼくの母。

 風が吹いて岩が削れるように、目尻の皺が深くなった。とてもたくさんのことを知って、それでも逃げ道なんてないのだと知って、一生懸命生きるほかない。