ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン

 時々、わけもなくヴァイオレット・エヴァ―ガーデンが見たくなる。
 見ると私は泣く。
 泣いている時の私は、とても醜い。
 よい歳をこかれた男性が、アニメを見て、不意に涙を溢れさせる。
 涙が一筋、頬を伝って美しく流れるわけだ。
 一筋の涙は美しいかもしれぬが、私の涙は醜い。
 息を殺しているのでぐふっ、ぐふっ、と何か異様な音を立てている。
 顔は怒っているように強張っているし、鼻水もちょいと顔を出す。
 その醜さと、涙の美しさの対比が非常に面白いので、私は泣いている自分の顔をスマホで撮る。
 そしてそれを友人や家族に送ったりする。
 私は人を喜ばせるのが、なかなか好きだ。
 私は自分の醜さも好きになろうとしている。
 
 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンについてネットで調べたことがある。
“必ず泣けるアニメ”という説明がされていることがある。
「けっ」と私は思う。「たとえ必ず泣けるとしてもだ、必ず泣けるなんて書かないでおくれよ」
 そもそも泣けるという言葉があまり好きではない。泣きたいから作品を読む聴く観るなどしているわけではない。
 必ず泣けるアニメという言葉で説明されているのを知っていたら、私はそのアニメを見たくなくなると思う。そもそも必ず泣けるという言葉は根本的に虚偽であり、なんだか押しつけがましい。それにそもそも私の涙は醜い。私は泣きたくない。
 私はヴァイオレット・エヴァ―ガーデンを五話見た。
 五回泣いた。
 
 ブックオフを徘徊して探し出した本の裏表紙に「感動的な究極の名著」と書かれた本があった。
 それを見た瞬間、私は噴き出した。
「究極の名著か」と思った。「こんなにやけくそな煽り文句もなかなか無いものだ」
 むしろ言葉に出して言いたい。これは究極の名著。究極の名著なのだ。こないだ究極の名著を読んだんだけどさあ。
 私は究極の名著をレジに持っていった。
 220円だった。
 家に帰って読んでみた。
 おもしろかった。
 もしかして本当に究極の名著なんじゃないかと思った。
 でも、伝説の剣に「伝説の剣」と書いてあったら、なんだかやっぱり滑稽だ。
 
 ヴァイオレット・エヴァーガーデンについて、感想を書こうとすると、伝説の剣になってしまう気がする。
 だからさっきからなかなか書けないでいる。
 私は小学生の頃から感想文がひどく苦手だ。
 教師に感想文の執筆を強く求められた時には、大便召し上がれと思った。
 こういう風に、文章をうまく書けない人の元に、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは現れる。
 
 彼女は代筆屋で、タイプライターを持って依頼人を訪れ、その人の話を聞いて手紙を書く。
 手紙で何を伝えたいのか、その本質をお話の中から汲み取って、手紙にするのである。
 書くことというのはどういうことなのか、それを考えてしまう。
 私はヴァイオレット・エヴァーガーデンのことについて何か書こうと思った時、頭の中にたくさんの言葉があふれ出した。
 言葉は怒涛になって、そしてすっかり流れ去り、からっぽになってしまった。
 あなたはどう思うのですか? とヴァイオレット・エヴァーガーデンは言う。
 私……私は……と私は思った。
 私はヴァイオレット・エヴァーガーデンになりたい! と私は思った。
 ヴァイオレット・エヴァーガーデンみたいに、人々をとっても喜ばせる文章を書きたいって、そう思ったんだ! と私は思った。
 ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、薄暗いランプの明かりを頼りに、かたかたと私の言葉をタイピングしたあと、
 それなら、私である必要はありません。と言った。
 あなたの言葉で、書けばいいのです。とヴァイオレット・エヴァーガーデンは言った。
 私は泣いた。