きたない靴を捨てる

 靴がこわれている。
 その白い靴はNikeの有名なバスケットシューズで、町に出ると必ず3人くらいは履いている人がいる。珍しいものではないし、いつでも手に入る。
 私はその靴のふかふかした履き心地や、ぼんっと鈍臭いシルエットがなんだか好きで、よく履いていた。
 会社に行くときも履いたし、友人と遊びに行くときも履いたし、旅行に行くときも履いていた。
 電車で日本縦断をしたときも、その靴だった。
 だから靴はすり減り、汚れ、靴底に穴が空いてしまった。老犬のように、静かになった。
「よくやってくれたな。でももう、捨て時かもしれないな」と私は思った。
 それからずっと捨てる機会を逃し続け、玄関の脇の、靴箱の上にそいつは居た。
 
 ある日、私はバイクの免許を取ることにした。
 教習所に向かい登録を済ませ、料金を支払い、いくらかの待機期間を経て教習がスタートする。
 教習が始まる寸前になった頃、突然疑問がわいた。
 バイクに乗る時ってどんな靴を履いたらいいのだろう?
 今まで一度もバイクを運転したことがないし、バイクに乗っている人の靴を観察したこともない。
 ペダルを操作するので、おそらく頑丈なブーツのようなものを履けばいいのだろうけれど、そんな靴は持っていない。
 考えた末、あの靴を履いていくことにした。
 くたびれて、きたなくて、穴の空いたバスケットシューズは、バイクの運転にちょうどいい靴だった。
 私は教習所を卒業するまで、あの靴を履き続けた。
 卒業してからバイクに乗る時も、あの靴を履き続けた。
 靴にもセカンドライフがある。
 
 そして靴は、ついに完全にごみのような姿になった。
 バイクは足の甲でペダルを操作するので、左足のつま先の辺りが毛羽立っているし、バイクに接触する内側は油やほこりで黒いし、靴底の穴はもっと大きくなったし、紐はちぎれてしまいそうだ。
 私は靴に軽蔑の眼差しを向けた。
「汚いなあ。はやくこんな靴は捨てよう」と思った。
 靴は前より小さくなったように見えた。
 おれはもうごみだよ。と靴から聞こえてきた。見ての通りだよ。お前が持っている靴の中で一番汚い靴がおれだよ。もうおれを捨てろよ。お前は新しい靴ばかり履いているじゃないか。
 捨てられなかった。
 
 あの靴を捨てよう、と決心した。
 おとといの真夜中のことだ。
 私は除菌ウェットティッシュで靴を拭いた。汚れは落ちなかった。黒い汚れはたぶんバイクから飛び散ったオイルなのだ。
 スポンジに食器用洗剤を含ませて力任せに擦った。私はこの靴を捨てるぞ、捨てるぞ、捨てるぞ、と何度も心で念じながら、力いっぱい擦った。
 玄関は泡だらけになった。バスルームに持って行き水をかけると、汚れは落ちていた。
 食器用洗剤はきちんと油を落とす。いけるかもしれない。
 それから何十分も擦り続けた。腕が痛んだ。額には汗が流れてきた。しかしどんどん靴は綺麗になっていく。
 洗い終わると、思ったよりも靴へのダメージは無かった。むしろ、今までの酷使を考慮するなら「ほとんど無傷」だと言ってもいいくらいだった。ただ靴底の穴だけはひどい。
 もう捨てるんだ、あの靴は、と思いながら靴底の補修材と靴ひもをネットで注文した。
 補修材を靴底に盛って、紐を白と青のタイダイ柄のものに代えた。
 靴底の補修跡はいかにも生々しく素人っぽいみすぼらしさだけれど、確かに穴は塞がれたし、とても綺麗になった。
 でも、あいつはいなくなってしまった。
 私はあの靴が好きだったのに。
 
 その白い靴はNikeの有名なバスケットシューズで、町に出ると必ず3人くらいは履いている人がいる。珍しいものではないし、いつでも手に入る。
 私はその靴を履いて、色々な場所を歩くだろう。
 そしていつの日か、あいつに会うのだ。