偽カラス

 喫煙所は会社の外にある。
 エレベーターを下り、自動ドアをひとつくぐり、水の出ない噴水の脇を少し行くと、真っ黒な巨大な羊羹があるから、その裏に回り込んだところ。表通りからは見えない場所。
 灌木に囲まれた寒々しい広場に、灰皿が4つ立っている。
 どれでも好きな灰皿を使っていい。煙草を吸わなくてもいい。ただ、大多数の人はそこで煙草を吸う。私も吸う。
 その日は曇り空で、気温は7℃だったから、喫煙所には私以外に誰もいなかった。
 電子煙草のうすい煙を吸い込み、目の前の茂みをぼうっと眺めていると、葉と枝の隙間から見える地面にカラスが死んでいた。
 こんもりとふくらんでいて、表面は雨に濡れたように鈍く光っている。
 思わず前のめりになり、目を細めてじっと見た。
 カラスが死んでいる?
 私は生きているカラスなら何度も見たことがある。しかし、死んだカラスをまだ一度も見たことがない。どこにでもいるカラスの、死体を見たことがないというのは不思議なことだ。
「あれはね、保健所が拾って持ってくんです」と人は言う。
「いやいや、のらのねこが食べちゃうんです」と人は言う。
 そうなのだろうか。私は件の保健所というものがどんな活動をしているのか、実際のところよく知らないし、そういう人達がカラスを持っていく姿も見たことがない。
 同様に、猫を含む野生動物がカラスを食べているところ、あるいは口にくわえているところも見たことがない。
 私にとってカラスの死体は、ユニコーンドワーフのような、非現実的な存在だった。
 体の位置を変え、カラスの死体をじっくり見て、気がついた。
 あれはカラスじゃない。
 盛り上がった木の根っこだ。
 
 煙を深く吸い込み、空に向かってゆっくりと息を吐いた。
 私の煙はあの分厚い雲の一部になった。
 吸殻を灰皿に捨て、ポケットに手を突っ込んで歩き始めた時、不意に思いついた。
 あれは本当に死んだカラスで、死んだカラスはみんな自然の一部になってしまうのかもしれない。
 カラスの形の土や、石や、木の根や、あるいは月の無い真っ暗な夜の一部になって消えてしまうのかもしれない。