歌を聴いている。
歌には大抵、歌詞がついている。
歌詞がついているから歌だと言えるのかもしれない。
“ピーパッパッパラッポ”は、歌詞なのだろうか。
よくわからないけれど、それもたぶん歌詞なのだろうと思う。
なぜなら私はその歌を聴くとき“ピーパッパッパラッポ”と聞こえるからだし、その歌を歌おうとするとき“ピーパッパッパラッポ”と歌うからだ。
たとえそれが意味のない言葉の羅列だとしても、私はそれを歌詞だと感じる。
そしてそれが意味を持たない言葉の羅列なのかどうかということを、気にしない。
よく考えるととてもおかしなことに思われる。
しかし歌詞というのは、どこか言語として破綻しているような言葉結合体でも、すんなり受け入られるものだと思う。
何を言っているのか本当に分からない歌もある。
ある映画の有名なBGMに、歌が使われているのだけれど、まったく聞き取れない。
必死にその言葉を聞き取ろうと努力すると、次のような歌詞になる。
“はなまえば ぐわしええ よいにけり”
“はなまえば へるつき とよむなり”
“よがいに あみあまくだりて よがあけ ぬれとり なく”
10回以上聞いているにも関わらず、何を言っているのか一向にわからぬ。
わからぬが、とてもよい歌だと思う。
おそらくこの歌には何か意味があるのだろうとは思う。
なんとなく日本語のように聞こえる部分があるからだ。
本当のところは、知らぬけれど、調べようとも思わぬ。
それから、歌詞は歌詞でも、最初から意味を捨てている歌もある。
意図的に意味を排除している歌。
“おーうぇーん めいあらさっちゅうぇー”などだ。正式は歌詞には漢字も英語も使われていた。
私はこういう歌をハナモゲラと呼んでいる。
古の昔に姉からそういう概念を教わったことがあるからだ。
そしてハナモゲラの傑作と言えばやはりカイネ救済で、この歌はサウンドトラックを買って3年間ほど出勤中に聴き続けたので、一日2回しか聴かなかったとしても1440回聴いている。
今、計算機で律義に計算したのでたしかだ。
私はカイネ救済なら、歌詞を丸暗記してしまったので歌える。
歌える、と書いてから「本当に歌詞は無いのだろうか」と思い調べたら歌詞があった。
この記事を書いてよかった。今年一番の発見だ。
カイネ救済の歌詞を書いた方はこの歌詞を「カオス言語」と読んでいた。
それはハナモゲラではなかった。
異言語コラージュ、あるいは各言語の音の響きだけを抽出したモザイク画のようなものだった。
ハナモゲラとはまったく違う概念で創られていた。
洋楽の歌詞は英語で書かれていて、英語で歌われている。
私はその歌詞の意味をほとんど知らずに聞いている。理解もしていない。
しかしその歌を好きだと思う。いい音楽だと思う。
意味があってもいいし、無くてもいい。
物語性があってもいいし、無くてもいい。
メッセージがあってもいいし、無くてもいい。
どこまでも自由な、しかし必ずそこに声があることだけが前提の歌詞が、私にはちょっとうらやましい。
出来ることなら、歌詞のように会話してみたいものである。