かなびばほに

 昨晩、金縛りになった。
 久しぶりだった。
 20代前半のある時期、妙に金縛りの回数が多いことがあったけれど、あの頃以来かもしれない。
 私の金縛りは遺伝ではなく、ユニークな特性だ。
 姉は一度も金縛りになったことがないので、私を羨ましがっている。
 羨ましがられるほどのこと、ではないにせよ。
 そういえば姉は不眠症ではない。寝転がって数秒で寝るタイプの人間だ。
 家族といえど、人間の特性は随分と異なるようだ。
 
 金縛りになるのは大抵、眠いのを我慢している最中に寝てしまった時だ。
 昨日は睡眠薬を飲んでさあ寝ようという時に先輩から電話があり、話をしているうちに薬が効きはじめ、とんでもなく眠くなってしまった。
 私は朦朧としながら布団に入った。
 それでもなんとか話しを続けていた。
 先輩も、まさか電話の相手が睡眠薬でぼけぼけになっているとは思わなかったろう。私は元気な時でもぼけている。
 電話が終わり、糸が切れた凧みたいに意識を手放したあと、脳がズームインしたり、ズームアウトしたりした。
 聴覚もぼわっと広がったり、ぎゅっと縮んだりした。
 緩い左回転感もあった。
 一度でもこういう状態になったことがある人なら、すぐに「ああ、わかる」と思うだろう。
 しかしこの眩暈様の回転感とか、聴覚の膨張と閉塞の感じとかを人に伝えるのはとても難しい。
 死ぬって何? と子供に聞かれた時、どう答えればいいのかわからないのと似ている。
 これはこのまま寝れるなあ、と思っていた矢先、手足への重力がものすごく強くなり始めた。
 足がしびれた時みたいに、自分の一部ではないような操作不能の予兆をたしかに感じる。
 金縛りになる!
 と思ったら、もうなっていた。
 久しぶりだったので、少し焦ってしまった。
 無理に手足を動かそうとして、それが不可能であることにますます焦る。
 何もかも重い。
 すぐに手を動かしたいと思う。そんな簡単なことさえ出来ない。全力で力を入れても(入れようと願っても)手足は少しも反応しない。
 力が入らないという状態は、おそらく本能的にとても恐怖を感じるものなのだ。
 だから、金縛りになるとほぼ無条件で「恐い」という感情が湧き上がってくる。
 ネットで調べてみると、金縛りというのは体の自由が効かないことと、恐怖感や苦痛を感じることを指す、とある。金縛りセットである。
 ということで私も「恐いのがくるぞ、怖いのがくるぞ!」と覚悟した。
 すでに経験していたので、自分がどうなるのかわかっていた。
 予想通り恐怖感がやってきたけれど、昔ほどではなかった。金縛りも、もう新鮮ではなかった。怖いのが来る、とわかっていればそれほど怖くなくなってしまうものなのだ。何度も見たホラー映画と同じように。
 しばらく腕に力を入れ続けると、ほんの少しだけ手先などが動き始める。少し動くようになれば、あとはゆっくりと全身が動くようになる。
 粘土のようだった体のパーツに神経が通い始め、人間の体を取り戻せる。
 そこで金縛りは終わる。
 私はベッドの上にむくりと起き上がり、スマホで友人に「かなしばりにあった」と送った。
 そしてまた寝たのだが、今度は二回目の金縛りがきた。
 さすがに「もう動かなくても別にいいだろう」という気持ちになり、気にしないようにする余裕もあったのだけれど、結局手足が動かないという違和感・気持ち悪さ・不快感に負けて力を入れ始める。人型の粘土から血の通った人間へ。
 二回目の金縛りも解け、むくりと起き上がり、友人に「二回目のかなしばりにあった」と送った。
 なんのことやらさっぱりわからなかっただろうけれど、私もなんのことやらわからなかった。
 なぜ友人に「かなしばりにあった」とメッセージを送ったのか、実はよく覚えていない。
 それに実際には誤字だらけで、
「かなびばほに」
「かなしばり」
「二回目になって」
「かなしばりか」
 と送っていたのだった。
 まともな日本語でさえ、なかった。
 そもそも金縛りというのは半分寝ていて半分起きている状態なので、体を起こした段階でも半分寝ていたんだと思う。
 しかも送っていた相手は友人でなく、なぜか姉だった。
 朝になって姉から「かなしばりになったの?」と返信が来ていた。
「わたしも一回なってみたい」

 金縛りにならない方法は知らないけれど、金縛りの恐怖感を消す方法なら知っている。
 邪魔にならない程度の音量で、お笑い番組をつけて寝ることだ。
 金縛り中というのは、目は開かないけれど耳は聞こえているので、面白い話などが聞こえていると安心するし、動けない間の時間を潰すことも出来てよい。
 金縛りは悪夢とセットの場合もあるけれど(女の人の悲鳴が聞こえたりする。心霊現象ではない)、その場合でもお笑い番組の笑い声があると、悪夢状態になりにくい。
 おばけや悪夢というものは、愉快な場所には現れないものなのだ。