休憩神

今週のお題「元気を出す方法」

 

 

 元気を出す方法について考えるためには、まず2つの前提が必要です。
1,元気がない状態を把握すること
2,元気な状態を把握すること
 このどちらが欠けても「元気になる」ことは出来ません。
 元気になるという現象は前提1から前提2へ移行することです。

 前提1,元気がない状態とはどんな状態だろうか。個々人によって差異はあるにせよ「だるい」「つかれた」「なにもしたくない」「ねむい」「じんせいがくだらない」「にんげんはみんなくそだ」「そんなことをかんがえているじぶんもくそだ」「もういきていたくない」「しにたい」という状態が、元気がないという状態になります。
 原因も様々だけれどとにかく何らかの原因によって人は元気を失います。
 元気を失った時に「今、自分は元気がない」とすぐに認識できる人ならよいけれど、元気がないということに気がつかない人もいます。
 仕事で疲れてへとへとなのに「もっと勉強をがんばらないと」と思ったり、ストレス発散のために13時間ゲームをやったり、他人を不機嫌にさせないためだけに愛想笑いを頑張ったり、責任感でいつも体をぎゅっと緊張させてばかりいたり。
 そういう人は自分のバッテリーが切れていることにさえ気づかずすべての時間をスケジュールでぎゅうぎゅうにしてしまい疲労疲労を呼ぶ悪循環を招き、次第に慢性疲労がまとわりついて「疲れた」しか言わなくなります。弱音を吐いているくらいならまだいいのですが、愚知さえも出てこなくなるといよいよ危ない(LINEの返信が一切ないとか、音信不通になったりする)ので、そうなる前に「私は今、元気がない」という認識を得ましょう。
 どうすれば「元気がない」と認識することができるのでしょうか。
 私の場合は「〇〇しなきゃ」という思考が多くなります。
 よい感じで言えば使命感というか責任感みたいな気持ちだけれど、悪く言えばそれは強迫観念です。
「仕事しなきゃ」「元気がある風に見せなきゃ」「ちゃんと話し聞かなきゃ」「本読まなきゃブログ書かなきゃゲームしなきゃ歯磨かなきゃ」「寝なきゃ……寝なきゃ明日……仕事できない……」
 客観的に書くと笑ってしまうけれども。
 そういう感じになってくると強迫観念によってアドレナリンがどばどば出ているので疲れを認識できなくなり、知らぬ間に活動が増えすぎて体も心も疲労がマックスになっていて、眠れなくなり、余計に疲労し、疲労をカバーしたり隠したりするために疲労し「元気がある」という状態がどんな状態だったかさえ分からなくなります。
 なので最初の「〇〇しなきゃ」を発見した段階で「今、元気ないでーーす!!」と開き直る必要があります。最初の一匹を見逃すと〇〇しなきゃは無限に湧いてきます。

 あなたは無暗に〇〇しなきゃって考えてますけど、〇〇をしなかったらどうなるんです? と自らに問いましょう。
「仕事しなかったら」→「上司に怒られる」→「評価が下がる」→「首になって無職になり、死ぬ」
 本当かな?
 1週間くらい定常業務だけやってればいいんじゃない? あと、私がやらなくても他の有能な社員がなんぼでもやってくれるから、私がそこまで頑張らなくても別にいいでしょ。というか定常業務さえしておけば上司も怒ったりはしない。上司が他の社員を怒ってるところを見たことがない。私もまったく怒られたことがない。元気がないから今は出来る範囲でやればいいんじゃないの。

「元気がある風に見せないと」→「疲れていることがバレてしまい」→「無駄な心配をさせてしまい」→「仲間や上司の信頼を損ね、嫌われ、仲間外れにされ、首になって無職になり、死ぬ」
 本当にそうかな?
 たとえば同僚のAさんがすごく疲れた顔をしていたとして、それを見ても別になんとも思わなくないか。心配して「休めば」とか言うかもしれないけれど、それでAさんを嫌いになるってことある? なくない? そもそも「元気がある風に見せないと」って、なぜ思うの? 元気がない時は元気がない顔してればいいじゃん。よくわかんねーよ。見得とかそういうのなの? 何?
 
 という風に、〇〇しなきゃという思考は、そもそも根拠が現実的でないことが多いので、みつけた段階で自分の強迫観念をさかのぼって破壊し、リラックスさせてあげます。何かをしなければならない、なんてことはひとつもありません。人間はうまれながらにして自由を超えた自由の極みの中におります。小さいことにおろおろするのはもうやめにして、なるようになるさ、あしたはあしたのかぜがふく、などと歌いながら全身を脱力させましょう。
 元気になるためには食べて寝ることです。そのほかには何もしなくていいと思います。食べて寝るを繰り返していると自然に何かしたいという気持ちがでてきます。その時を待ちます。
 それでも元気が出ない……もう何ヶ月も疲れたままだし、人生がまったくおもしろくない……と思うようになったら、諦めてメンタルクリニックに行きましょう。
 メンタルクリニックはこわいところではありません。お医者さんは味方であり、あなたを叱ったりしません。

 前提2,元気な状態とは、どういう状態だろう。
 それは「心身に苦痛がない」ということです。ただそれだけです。普通です。普通が一番いいのです。やたらとテンションを上げるとかモチベーションがぎゅんぎゅんになるとか、そういう状態になる必要はありません。その状態を元気がある状態と定義するのであれば酒を飲みまくるとか覚せい剤を打つとかも元気な状態であることになるし、「元気がある」を追及した結果コカイン漬けになってしまうかもしれません。何かしらの手段を用いて一時的に精神を高揚させると、テンションが下がって来た時に不快感や不安を感じることがあります。その不快感や不安を解消させようとまた他の手段を用いて、などと繰り返していると疲れます。巷にあふれるコンテンツの大量消費には大体いつも警鐘が鳴らされていますが、そういうものは無理して摂取するものではないのです。元気があるという言葉に過剰な期待をかけるのはやめましょう。生きがいというものは生きている人のための概念なので、死ぬ前に休みましょう。自分は絶対安静の病人なのだ! と思うくらい豪快に休みましょう。
 
 私の周りには、私自身を含め、疲れ切っている人がたくさんいます。
 体や心を壊してしまったあとに「ああ、あいつはあんなに疲れていたのか。誰かがぶん殴ってでも休ませてやればよかったのに」などと思いますけれども、結局のところ、自分を本当に休ませられるのは自分だけなので、まずわたくしが皆様のお手本になれるよう、ぐうたらしたいと思います。これを読んでいる人は、ぐうたらしている人を見かけるたびに「ほぼ涅槃」「猫より寝ている」「休憩神」と褒めてあげてください。
 おやすみなさい。