極端

 ピーナッツを2キロ買った。
 ずしりと重い、まめ。
 ぽりぽり食べている。
 私はリスになった気分を味わった。
 まめばかり食べ、あきない。
 
 本間ひまわりさんMGS4実況動画を二日間で21時間観た。
 非常に学ぶところが多かった。
 深夜、げまじょ、たまンゴ、おりコウ周辺の動画を見た。
 ひととひととの関係は千差万別でひとつとして同じものがないように思われた。
 よく注意してみれば誰の周りにもそれはある。
 
 休日だというのに部屋に引きこもっていた。
 洗濯をし、飯を食べ、ベッドに寝転がって30時間ほど動画を見続けた。
 これはひとつの能力だと思われた。
 誰もうらやむことのないすてきな能力。
 時折幸福感を覚えた。二日間の合計時間は2分ほどだった。
 あとの29時間58分は虚無だった。
 それが無駄だとも思えなかった。
 
 半分開いたカーテンから刺す光は春の新鮮さを保ちつつ遮光されて弱って、鮮魚売り場のいわしみたいな鈍い明るさで私は光量不足のそのなつかしい光が好きなまま大人になった。ベッドに寝転がって動画を見て、部屋の中にはなんの匂いもないのに無臭でもなくぬるい透明な光のにおいがしていて、インターネットの音声のみが静かにじゃみじゃみ空気を乱していて、ここにあるのはすべて私に最適化された刺激の規制だったから、まったくの無よりもよほど静かでなんの刺激もない、まるで頭の中をそのまま外の世界に展開したかのような、終末医療の窓辺のような、安全で安穏で極端に苦痛の少ない、人生で最も完璧に平和な時間のひとつだった。
 
 価値観の喪失という言葉をインターネットで検索した。何の意味もない言葉が並んでいた。シャワーを浴びながら、最も意味のない時間は二日酔いが癒えるまでの時間だと定義した。

「明日の夜、暇ですか?」友人のIさんから連絡があった。
 私はIさんと酒を飲む時間を想像した。挨拶、笑顔、うまい焼き鳥、喧騒、ビール、いつもの窓から見える秋葉原のネオン、行き交う人の群れ、あたらしい会話、ふるめかしい会話、冗談、あたらしい経験、ふるめかしい経験。
 断ろうと思った。姉の家に泊まるので、という理由にしようと考え、やめた。角の立たない理由を考えるのが当たり前になっている。でも、Iさんにはそれをしたくなかった。私はもっと自分勝手な理由で断ろうとしているし、それを知ってほしい。知るべきだと思う。この考え方は私らしくなかった。私の考えよりずっといい。

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