体の移動、心の移動

 移動するためだけに、移動したいことがある。
 どこかへ行きたい、と願う。
 しかし、具体的な目的地について考えると、特に行きたい場所はない。
 ネットを駆使し、グーグル・マップを見渡し、2時間かけて目的地を探してみる。
 ない。
 行きたい場所は、結局ない。
 ただ、どこかへ行きたいという気持ちは消えない。
 どこかへ行きたいのだ。
 ただ、目的地はない。
 いつもであれば、どこへも行くあてがないんだから家にいよう、と思っているはずだった。
 その日は違った。
 考える力がひとつ、突き抜けていた。
「どこかへ行きたいという気持ちと、目的地の有無には関係がない。どこかへ行きたいという気持ちは他のどんな概念からも独立して存在している。どこかへ行きたいという気持ちは、はっきりと形を持ち、固く凝縮し、質量を伴って胸の中に転がっているのが分かる。行くあてがないなら家にいなくてはならない、というルールはない。行くあてがなくとも、どこかへ行きたいという気持ちがあるなら、どこかへ行く資格を常に有する」
 私を部屋に閉じ込めるのが私なら、私を自由に解き放つのも私だ。
 どこかへ行こう、と決意し、シャワーを浴びて服を着替えた。
 家のドアを開けて外に出て、なんとなく歩き出した。
 すこし晴れ、すこし曇りだった。
 頭の中を空っぽにして、しゃなりしゃなりと歩いた。
 気がつくと銀行のATMで預金残高をぼうっと眺めていた。
 それからスーパーマーケットの裏のレンタルサイクルで自転車を借りていた。
 私は風になった。
 普段は自転車に乗らないから、とても面白い気持ちになった。
 よくわからないけれど心がよろこびでいっぱいになった。
 自転車をこいで、知らない町の、知らない道を進んで行こうと思った。
 何も怖くない。
 グーグルマップがあれば、どんな場所へも行けるし、どんな場所からも帰ってこれる。
 車道の端の自転車専用レーンは凹凸が少なく走りやすい。
 レンタルサイクルはあまりスピードが出ないので、がんばってペダルをこいでスピードをつけようとするのも、なんだか面白い。
 子供を乗せた、戦艦みたいに大きなお母さん自転車に追い抜かれたりもする。
 マイペースなおじいさん自転車を追い越したりもする。
 自転車レーンを塞いで停車している車のせいで、車道に大きく飛び出さなければならないこともある。
 そのすべての当たり前が新鮮だった。
 行くあてもなく移動することは、幸福だ。
 どこへもたどり着かないから、ずっと、未知の世界にわくわくしている。
 
 気がついたらレンタル開始から1時間ほどが経過していた。
 移動距離は10kmほどだった。
 そろそろ帰ってもいいんじゃないかな、と私の心がつぶやいたので、来た道とは別なルートで帰ることにした。
 川沿いの道や、並木道や、親密な雰囲気の街路や、冷たい気配の公園の道を。
 スーパーマーケットの裏手に戻り、往復20km、2時間の大移動は終わった。
 どこへも行かなかったな、と私は思った。
 いつもなら自分の行動を「無駄だった」などと思うところだけれど、その日は違った。
 何しろ考える力がひとつ、突き抜けていた。
「私の体は、出発した場所と同じ場所へ戻ってきただけだ。目的地がなかったからどこへも行かなかったように見える。しかし、私の心は、どこまでも遠くへ突き進んだじゃないか」
 

 

 

今週のお題「大移動」