疲弊の人

 最近は夜勤明けに立ち食いそばに通っている。おいしいお蕎麦屋さんである。
 木の格子が組み合わされた江戸時代みたいな自動ドアを入ると短い廊下があり、その壁沿いに固定式のスツールが八本ほど立っている。さらに奥にいくと厨房があり、厨房の手前には注文を受け付けるレジがある。レジの周りは立ち食いそば用の狭いテーブルが囲んでいる。
 わたしは常の如くかつ丼セットもりそばを頼んだ。注文を終えた後は手持無沙汰で、あの時間をどのように過ごすのかは人によって違いが大きいように思う。自分が見定めた席について声がかかるのを待つ人もいれば、レジの周りでぼんやりしている人もいる。わたしは今日は廊下寄りの通路でぼうっとしていた。
 かつ丼セットが出来たので、盆にのせてスツールに座って食べていると、隣の隣に誰かが座った。最初は特に気にしなかったのだけれど、その人がかなり大きい声で「疲れたあ」と言うので気になって仕方なくなった。きちんと文字にすると「疲れたぁ~~!」である。ふにゃふにゃの甲高い裏声でほとんど投げ出すような調子で、完全なひとり言を放っている。
 相当疲れているようで、そのあと何度も何度も「疲れたぁ~~!」と言い放つ。世の中に疲れている人は多くいるだろうけれどあの人ほど疲れを前面に押し出している人はそういないだろうと思われた。事実、わたしも睡眠をまったくしない夜勤明けで相当疲れているけれど少なくとも周りを見渡して人間らしく振舞うことは可能で、あの人のように見境なく生きざるを得ない感じではない。ひとり言が誰かの迷惑になるかもしれないという想像をすら失ったら部分的に人間を放棄している。ため息もそうだし、身だしなみも同様だった。わたしが今務めている会社にはため息に関するルールがあって、それはそれで笑ってしまうけれど、ルールが出来たということは過去に問題が起きているということだから、そういう小さいところが案外社会生活に重要だってことはある程度の年齢に達すればなんとなくわかってくることのように思う。挨拶とか礼儀とか。
 疲弊の人はなおも「疲れたぁ~~!」と虚空に叫ぶ。わたしが出るまで合計8回言った。しっかり数えていたので間違いない。きっとあの人は店を出て電車に乗っても「疲れたぁ~~!」と言いまくるのだろうし、家に帰ったらもっと遠慮なく「疲れたぁ~~!」と叫びまくる事だろう。それはどういう人生なんだろう。疲弊を感じること以外に感じない人生。疲れないようにできないんだろうか? 
 疲れないようになんてできないよな。ただ叫ばないだけで、大概の人間は疲弊の人だ。ただ叫ばないだけで。