カルボナーラ

 楽しいとか面白いとかが人生の中心にあるような錯覚を覚えて、そんな単純なものだったかなと考えてみると、結局そんな単純なものだったかもしれない。手段はどうあれ、過程はどうあれ、結局は楽しいとか面白いとかが人生の中心にあるのかもしれない。不快を避けて快を求めるように設計された人間の機能のために。でもそれが幸福なんだろうか? 考えてみるとよくわからなくなる。しかしカルボナーラは幸福か否かに関係なく今日も美味しい。